2022年8月26日金曜日

Bilder denken und Naturか・・・、

なんか久しぶりにドイツ語で映画の話を聞いていたら、全く違う思考で作ったっていいじゃない!!!

と少し自分に戻ってきて、嬉しくなったので、よかった

 https://www.arsenal-berlin.de/forum-forum-expanded/

2022年8月21日日曜日

エドウィン

 エドウィンの映画見ました、

Postcards from the Zooを最後に見て以来の、「Vengeance Is Mine, All Others Pay Cash」の映画


ファティアキンがcoproducerの名前になってましたね

凄かった、、タイトルが変で、変なカンフーの説明ついてたりしてわけわからないですが、

インポの男性の恋がメインで、最初ユーモラスで笑えたが、ところがどんどん、インポが元で、結婚した妻がたった一回の浮気で、子供ができてしまう流れから突然、人生の渦の中に物語が進行し、そして、インポテンツになってしまったトラウマシーンへと遡り、それがまさかの女性が抑圧されていた社会状況を描き出しはじめて、ホラー映画と化していく。

もちろん、この夫婦が強い二人であるキャラ設定前提の話で、妻が、どんどんとその復讐へと手を染めていき、最後は、まさかの悲劇の結末で、唖然とした

ラストの方で、トラウマシーンで被害を受けたオバケの女性がでてくるシーンから、どんどんと復讐復讐という感じで、進行していったところで、わけがわからなくったが、それも含めてその裏テーマが見え隠れする感じで、たまらなく すげー作家映画見たな、という感じに落ちて 最後の曲もねっとりとして…


久しぶりにいい映画の時間でした

2022年8月16日火曜日

福島映像祭2022 映画部門上映

https://fukushimavoice.net/2022/08/4659/?fbclid=IwAR1t50KpYZ03XnzCNbTyQ0DM3dwqfZwCfB65MQd8XG3sDDPu_kmjH8vjF1Q


福島形相日記の上映があります。

ここ2年ぐらい、撮りためている素材の集積となるupdate版です。

一回しか上映がなく残念ですが、この作品は自分ではこれまでで一番良い・重みのある作品になっていると思います。

宜しくお願い致します。


2022年7月3日日曜日


 昨日の35mm daichi saitoさん上映


映画作家としてのこだわりを凄く感じた、


ここまでくると、技術と表現が、極限レベルでミックスされて、見るものを圧倒していく、


本物は違うな、としびれました


ここまで行くには、どこまでも考え続けないと行けないですね


構成力や映画の見え方

色や フォトジェニックとかのイメージを超えること



そして、今日は全く別なところの

ブレッソン的いやいや、そこまで全然行けるわけはなく、ま、それは置いといて、ある人物を素人に演じてもらう、模倣の鍛錬

をやりにいきます

小さなことから細かく、集中して


楽しみ








2022年6月30日木曜日

自分にとって、窮屈に感じられるところがあるのは、・・・


と書いたが、

これは、思い返し考えてみたら、映画・映像制作では、あるフォームを作る必要があって、そのフォームが人のものを見ると窮屈だと思うのは当然のことで、

自分だってこれはこうではなければならない、自分の作品として成立しない、みたいなことがあって、

その、自分にとって作品を作品たらしめるための、判断基準を持っていることが作家であり、

そのフォームを作っていくことが作家であることを考えていた

これまでそのフォームを鍛え上げていくことばかり考えてきたんだと思う

そして今は、何だかちょっとストップしているが、

現場型に移行しているといったら良いのか、


それはコロナになってから一層、その現場感を感じる映像が自分にとって重要になってきた

できるだけ生ものを食いたいみたいな感じでしょうか

2022年6月28日火曜日

諏訪 敦彦 
「誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために ──制作・教育・批評亅

をようやく隅から隅まで読み終えました

諏訪さんの作品、全部見てなかった
短編周りと、一番最初の作品は、見てなかったです。

自分の話になるが、
大学卒業時の新卒採用のときに、
ドキュメンタリージャパンを受けて、大学院の時も受けて、
どちらも二次面接まで行ったけど、通らなかった、

ドキュメンタリージャパンに諏訪さんいたんだろうな、と諏訪さん制作のテレビドキュメンタリーを見て、プロダクション名を見て思ったのだが、

だから、高円寺ドキュメンタリー映画祭周りもかかわっているんだな、、

と。


結構読み切るのに時間がかかって、いろいろとフィクションとドキュメンタリーについて、書いてあることがあって、
自分にとっての修士の時のシネマ・ヴェリテの論文の頭がようやく更新された?ような気がする

もう少し噛み砕くのに時間がかかりそうだが、

制作中に台本をただ再現するのではなく、役者が能動的に関わってくることや、役者が考えるその人物がどういう人間なのか、ということや、其の場の状況みたいなものが、物語を能動的に作り出していく、その、状況を撮るみたいな意味ではドキュメンタリー的だが、確かにこれはワークショップなんかを企画してみんなで物語を作っていくみたいなものに近い気もするが、諏訪さんの作品が何か特殊なあり方をしている理由はその俳優を見ている知ろうとしている、ってことが一番大きいのかもしれない。
ただ、本の中に別な意味で書かれていたけれど、関係性というのには特別なことはなく、みんなそれぞれがユニークなあり方でなりたっているわけで、その細かなディテールを描くことへのこだわりに徹することが、人物劇の映画なんだろうな
これは毎回多分相当な我慢比べ的なものだろうなと

読まないといけない本がたまっているので、先に進まないとな、と
思っております、
でもこの本は正直かなり自分にとっては良書でした

が、何か、なぜだかわからないが、自分にとって、窮屈に感じられるところがあるのは、正直なところでした。
やっぱりファインアートを学んだことが大きく影響しているのかもしれないと、勝手に思っている

そして、自分には自分のやってきたことがあるし、何ができるのか、ちゃんと究極的に模索していきたいわけで、

今は、福島の撮影をするということにロックがかかっているので、まずはそれをしっかり一つ一つ撮りたいもしくは関わりたいものが見の前にあるのだからそれをしっかりやりたいなと改めて思っている




2022年6月23日木曜日

それは何故なのか、と自問すると、斜めの思考がないと、

制作できない、というかアイデアが過去の存在に潰されてしまうので、


というところ

週末は舞台にでも行こうかと思っているが、

何が今必要か