2022年6月28日火曜日

諏訪 敦彦 
「誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために ──制作・教育・批評亅

をようやく隅から隅まで読み終えました

諏訪さんの作品、全部見てなかった
短編周りと、一番最初の作品は、見てなかったです。

自分の話になるが、
大学卒業時の新卒採用のときに、
ドキュメンタリージャパンを受けて、大学院の時も受けて、
どちらも二次面接まで行ったけど、通らなかった、

ドキュメンタリージャパンに諏訪さんいたんだろうな、と諏訪さん制作のテレビドキュメンタリーを見て、プロダクション名を見て思ったのだが、

だから、高円寺ドキュメンタリー映画祭周りもかかわっているんだな、、

と。


結構読み切るのに時間がかかって、いろいろとフィクションとドキュメンタリーについて、書いてあることがあって、
自分にとっての修士の時のシネマ・ヴェリテの論文の頭がようやく更新された?ような気がする

もう少し噛み砕くのに時間がかかりそうだが、

制作中に台本をただ再現するのではなく、役者が能動的に関わってくることや、役者が考えるその人物がどういう人間なのか、ということや、其の場の状況みたいなものが、物語を能動的に作り出していく、その、状況を撮るみたいな意味ではドキュメンタリー的だが、確かにこれはワークショップなんかを企画してみんなで物語を作っていくみたいなものに近い気もするが、諏訪さんの作品が何か特殊なあり方をしている理由はその俳優を見ている知ろうとしている、ってことが一番大きいのかもしれない。
ただ、本の中に別な意味で書かれていたけれど、関係性というのには特別なことはなく、みんなそれぞれがユニークなあり方でなりたっているわけで、その細かなディテールを描くことへのこだわりに徹することが、人物劇の映画なんだろうな
これは毎回多分相当な我慢比べ的なものだろうなと

読まないといけない本がたまっているので、先に進まないとな、と
思っております、
でもこの本は正直かなり自分にとっては良書でした

が、何か、なぜだかわからないが、自分にとって、窮屈に感じられるところがあるのは、正直なところでした。
やっぱりファインアートを学んだことが大きく影響しているのかもしれないと、勝手に思っている

そして、自分には自分のやってきたことがあるし、何ができるのか、ちゃんと究極的に模索していきたいわけで、

今は、福島の撮影をするということにロックがかかっているので、まずはそれをしっかり一つ一つ撮りたいもしくは関わりたいものが見の前にあるのだからそれをしっかりやりたいなと改めて思っている




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