2019年12月15日日曜日

was schreibt man eigentlich

was schreibt man eigentlich dachte ich daran.

Wenn ich ueber Dokumentationen denke und machen will, muss ich Geschichte journalistisch recherchieren, aber wenn ich eine Fiktion denke, muss ich vielleicht eine fiktionale Geschichte, die jemand mit Konversation schreibt, lesen.

Jetzt muss ich solche Literatur als ein Beispiel lesen anfangen.
Seit ich an Filmen denke, sammele ich oft Interviews aber keine bewegende Menschen, die gleichzeitig eine Aktion macht. Doch. Aber wenig.
Ich muss in meinen Film eine menschliche Aktion finden.
Das ist mein Thema schon immer seit einige Jahre seit ich Film studiere.


2019年12月14日土曜日

撮影部

この約二ヶ月というもの、実は、某企業の撮影部で修行していました

昔から映画の撮影を担当しているところらしく、少数精鋭で、みんな映画畑の人でびっくりでした

そのためめちゃくちゃ恐いし、そしてすごく職人気質の良い人たちです。

コンプライアンスがすごく厳しく、名前や写真も出してはいけないので、文章でのみ

大先輩の・・・さんが、黒澤明の「乱」の制作の際に足を踏んだとか、笑話で話をしたり、すごい話を聞かされています。でも、これは昔の話で、今は、もう映画はここ最近はやらない、ということらしいです、お金にならないから、ということみたいですね、残念

でも、そういう現場に、この短期間でも関われたことがとても嬉しく思います。

また来年からは別な行動をしていこうと思っています

そしてまたやはり作品制作をしていくことをちゃんとベースにしないといけないと思ったりして、それができる現場、職業をどうにかして見つけたい
と思っています

それにしても撮影部で働いたことは、本当に糧になりました 嬉しく思います。











2019年12月8日日曜日

A Leaf is the Sea is a Theater by JONATHAN SCHWARTZという作品

A Leaf is the Sea is a Theater

ディレクターJONATHAN SCHWARTZ

この作品、美しかった
https://www.facebook.com/watch/?v=670849040103352


情報
http://canyoncinema.com/2019/02/15/celebrating-jonathan-schwartz-2/





神様はいるだろうか

神様はいるだろうか、

どうやら、神様はいるかどうか、知らないが、運命とかそういうものはあるのかもしれない

なんてことを思い、その運命が、自分をより孤独にさせるということがあるのかもしれない、

そして、芸術、が自分が出会ってしまった、運命そのものって可能性もある


2019年12月2日月曜日

映画「ジョーカー」見ました

映画「ジョーカー」見ました

久しぶりのブロックバスター映画をまさか見ることになるなんて、

母親と息子の関係、は自分が男である以上は、いろいろハッとさせられるものがあり、

これはタクシードライバーという作品が背景にある、という話もあったけれど、
確かにその通りでもあった。

私が、やはり今回度肝を抜かれたのは、最後に、主役のアーサーを呼んでくれた司会のコメディアンを彼が、ぶっ殺すくことになったこと、
あそこで、さらにもし、アーサーが自殺していたら、さらにとんでもない、ホラー/恐怖映画になったであろうが、
演出はそうはせずに、彼は、その場所で捕まり、途中、自分がこの社会に蔓延するヒエラルキー社会に氾濫して暴徒化した民衆に、警察からすくい上げられて、初めから彼の「笑」が病気であったというところから一転して、その病気の苦しい笑が、彼の本当に笑に変わり、ある意味では、ハッピーエンドになってしまう、という転換/一般社会の転覆が起きたこと、

つまり、彼は、鬱屈した今までの日常を、突然気が狂ったことで、自分の人生を社会から認められた/認知されてしまった、

そして、それが、社会のウミとの強く関係している

確かに今年の象徴的な一作である、

勝手に最初思ったのは、カラーグレーディングがきつい?
とか、リアリズム映画ばかり見ている自分みたいな人間にとってはそんなことを思ってしまった

しかし、この恐怖は、最後まで見入ってしまったし、楽しんだし、ホラー映画だと思ったし、行くところまでいってしまって、それが気持ちよくもあり、自分のトラウマ(個人的なトラウマ)をも想起させてしまう、ドラマでもあった

アーサーが実業家の男のもとに、現れて、自分の母親がそいつのところで以前働いていて、自分はその男の子供なのだと、ぶちまけるが、反対にその男にお前の母親は頭がおかしい病人で、アーサーが養子だったことを告げられる場面、いつもの笑という病気を発動させて、その父親だと信じた男に殴られてしまう、
これに近い経験を僕はした、な、というそのトラウマを思い出したのだ、
父親と最後話したとき、
もうお前は俺の息子ではない、
と言ってこちらが話そうとしたらがちゃんと電話を切られた。
呆然としたこと、そんなことを思い出したのだ

また、今日は、アメリカ社会について毎日新聞の記事をたまたま読んだ
格差社会が広がっていて、一部の富裕層が言ったことが正しくなってしまい、民主主義がない、非正規雇用、雇用がない、など、ある大学生は、学校を出たときに1000万円の借金をして卒業、そのあとインターンを無償でするが、そのまま雇われずこれからどうするのか、というもの。
20代の人が、社会の未来に希望を持てない人が多く、社会主義国家への期待、をもっていると、
確かに競争社会が続いてきて、
勝ち続けた人と、それを必ずしもできなかった家族単位での差は、現在大きなものになっているのではないだろうか。
アメリカの話、そして日本の政治もまさに腐敗したゴッサムシティー東京という感じ




















2019年11月26日火曜日

ザラザラ

左の薬指に指輪
英字新聞
スーツ
男性

2019年11月24日日曜日

Deborah StratmanのVeverの批評の翻訳してみました



“I have come to believe that if history were recorded by the vanquished, rather than by the victors, it would illuminate the real, rather than the theoretical, means of power.”

山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査員作品で上映されていた作品「Vever」の批評があって、大変面白く、それをより自分で解釈したく、翻訳してみました。この三世代のフェミニズムの結合と西洋の植民地主義、実験映画 andドキュメンタリーが混ざる映画、なんて特異な作品なんだろうか!!

デボラストラートマンは、過去の視点を刺激的な音、テキスト、マヤデレンの教えと共にバーバラハマーの終わっていない映像フッテージの編集をすることで、現在へ再びそのフッテージを蘇らせた。Veverは、詩的に、全然違う女性映画作家の三人の世代の間の関係を描く。それが今この瞬間に結合すること、これまで見たこともないチャレンジ、映像制作実践の再解釈。
間の点と点
マヤデレンが1953年に書いた、聖なる騎士たち:ハイチの生きた神々「今日、1951年9月、この本の最後の数ページを書いているように、クロゼットの中の耐久性があるボックスの中の実質上のオリジナルの状態で、撮影されたフッテージ:その記録は、すでに、オリジナルのワイアー巻にある:写真の山が、”プリントされること”とラベルされた引き出しの中に押し込まれている。編集された映画の複雑なデザインが、私のファイルの中のどこかにある。私が思うに、全然どこだか定かではない。それは全然重要なことではない。新しいプランが必要だ・・・」
2018年の前半に、アートィストでありフィルムメーカーのバーバラ・ハマーは、デボラストラートマンにある話を持ちかけた:ハマーが1975年にグアテマラにモーターバイクで旅行する間に撮った完成していない映像フッテージから新しい作品を作ることができるか?この数年間ハマーは、Werner Center for the ArtsのキュレーターのJennifer Langeの援助で、世界で決して共有していなかった彼女の映像ボックスを発展させる計画をしていた。「このプロジェクトは、バーバラとの会話で始まった。私は、この数年間、何かを意図して作ろうとして撮っていた、何かの目的でどんな特別なアイデアもなしでただ撮られた素材を含んでいるテープのボックスを持っていた。数年経ってもそのフッテージを見さえしなかった。」当初は、その計画は、ハマーがそのwexnerのレジデンスプログラムに参加することだった、そして、彼女自身がその素材を再び見ること。しかし、ハマーの計画は、健康状態がすぐれなくなった時にその方向性を変えた。ある時、その機会が一瞬にして訪れた。他の映像作家にその素材で作品を作ることを頼むことで、そのプロジェクトを再び始めること、それを必要とすること。
ストラートマンは、挑戦と栄誉を背景に、その映像を見た時、素材を見る以前にハマーの長いキャリアと彼女の作品のインパクト、他のムービングイメージアーティストの中での、歴史的重要性から、確信し、賛同した。
ハマーにとって、ストラートマンを選ぶことは、彼女自身の大胆な精神を正確に映し出していた。それらのシェアした大胆なキャラクタ - 抵抗の一体化、地球を旅すること、好奇心を持つこと、疑問を持つこと - お互いの実践に親近感を提案すること。しかし、多分それらは、映像制作者としての衝撃を共有する時、この主題と中身は、当たり前のように全く違うことになった。
というのは、ハマーは、1970年代始めからフェミニスト理論やレズビアンの性とコミュニティーの周辺の対話を創造するといったクエアフェミニストアーティストとしてよく知られている。
ストラートマンの場合、知識の欲望が、彼女の作品のほとんどすべてにとって触媒となっている。そこに、好奇心や無知への抵抗が、アートに一体化する。「私は物事と知り合うためのある方法を作っている」とストラートマンは述べている。ハマーとのプロジェクトには、違いはない:影響のある人物の作品に向かい合って今まで決して見られることがなかったフッテージをアクティブにすることはユニークな機会を提供する。ストラートマンの始めのスタンドポイントは、物語を語るのを単純化することではなく、感情を作ることの衝撃だった。直感的な反応は、社会的で感情的な共鳴を持っている。このことを考慮して、Charles Bowdenの言葉を使って、著者のストラートマンはしばしば言及する。特に呼び覚まされること:「説明されるものは否定され、しかし感じられるものは、忘れさられることができない」現実と歴史への責任で、ストラートマンの映像制作は、しばしば細部にそして調査と探求の熱心な過程に根ざしている。しかし、詩的な厳しさと形式的な実験で、彼女は、予想できない領域に足を踏み入れる、架空の質と実話の物語をシェアすること。

デボラストラートマン
2012年のthe Brooklyn Railのインタビューで、彼女は、量と圧力の観点からもっと作品について考えていると言っていた。「私にとって、映像は、文字どおり、いくつかの彫刻的な形です、それに側面を持つ一時的な彫刻です。」因果関係を示す直線„Cを起こすBを起こすA“について以上に、プレッシャーを緩和することを積み上げることについて考えている。この直線的なアプローチは、ストラートマンに、多角的な軌道を彼女の映像の中に含むことを許す。同時に、オルタナティブな過程を探す事で、アイデアと物語に従って動く事、それらが折り返すこと、彼女はしばしば、共有している意図よりむしろそれらが近接しているため、新しい意味を作るために、互いに違うコンセプトを置く。神話の交差点で接続と作動を引き出すストラートマンのプロセス、歴史、物語は、Walker art centerのコミッションワークの作品「Vever」で特に明らかになった。それは、ハマーのリクエストによって、Walker art centerのムービングイメージコミッションと一緒に編み上げられている。このプログラムでは、Ruben/Bentsonムービンイメージコレクションの中のアーティストに、新しい作品の創造に資金提供をしている。数週間以内に彼女に持ちかけられた、おそらく偶然見つけられた、それか、運命なのか、彼女はすぐにwalker collectionのマヤデレンとハマー(過去2010年に直接ショートビデオ「Maya Deren’s Sink」の中でデレンに言及していた)の名前の題名の間に並行して見つけた。
しかしながら、デレンの作品の体型を徹底的に調べた上で、ストラートマンは、彼女が記録した1953年の本「Divine Horsemen: The Living Gods of Haiti(聖なる騎士たち:ハイチの生きた神々)」の中で、ハイチの神とブーデゥー教の儀式の彼女の経験についての個人的な説明とデレンの旅に惹かれた。デレンの著作集の中にあった、「Vevers」のイラストレーションと同様に、- 精霊(Loa)や神を呼び覚ます象徴的なデザイン - ストラートマンは、より深く女性の関係を発掘した本をいたるところで見つけた:土着的な文化を発見する映画プロジェクトを捨て去るそれらの似た選択です。ハマーを思い出す。「私は、どんな詩的な内容や、映画への個人的な内容も見つけることができなかった。だから、それをプリントする理由も見つけることができなかった。」
デレンは、さらに遠くへ行く、そして入植者のレンズの凝視を批判する。:
私は、もし歴史が、征服者によってよりむしろ、打ち負かされた人によって、記録されたなら、それは、理論的に権力の意味よりむしろ、「事実」を明らかにすることを信じる。根本的に、アーティストとしてそれら自身に目を向け、アメリカ人の映像作家として自己文化中心主義のリスクを認めた。数十年後、デレンのハイチの説明を読むことと、新しいコミッションの中でハマーの映画の素材を見ることで、人は、アーティストの間のこの重要な世代的な距離を認識する間にこの立ち位置をよく考えなければならない。それは、歴史の中でとても重要な政治的で社会的な瞬間だ。それは、疑いなく、彼らの個人的な実践に影響する。
40年代, 50年代のデレンは、アメリカの繁栄と世界的な優勢の時間の間のみならず、平等な権利の獲得 - 過酷な性的な一致の強要や鎮圧の時間の間、活動していた。しかしながら、伝統的な女性の役割の挑戦 - 原始的なフェミニズムの上昇は、デレンの実践の中に反映されている、その時、彼女は、男性優位のアヴァンギャルドシネマの領域でわずかな女性作家の中の一人だった。多分それは、事実が曲げて伝えられ、過小評価された女性を通してだった。デレンは、映画の中の一部のハイチの儀式のダンス、その意図的なフッテージの中で征服者や外国権力と対比した時の彼女の立場に敏感に疑いを持った。彼女は、その映画を捨て去ることを決定することと非征服者の真の代表者を支持する代わりに、占有された彼女の経験からそしてハイチのヴードゥー教の儀式の中に関係していく個人的な説明を通してそれをすること。「Divine Horsemen(聖なる騎士たち)」の著者の前置きで、デレンは、彼女が引っ張り出してきたプロジェクトの中で新しい意図を認識する。「私は、自分の創造的な品位のイメージの中で人々がアート作品の中に現実の要素を操作するように、アーティストとして始めた;私はできるだけ謙遜して正確に記録することによって、その品位を認識すること私の操作を諦めることを強要した現実の論理を終わらせる」デレンの視点は、映像フッテージそれ自身よりむしろ言語やシンボルを通してコミッションワーク”Vever”の中に編まれる。それは、疑わしい歪みの中にあり、彼女の死の後に、彼女のパートナーの伊藤ていじによって1985年のドキュメンタリー「Divine Horsemen: The Living Gods of Haiti(聖なる騎士たち:ハイチの生きた神々)」の中で編集され、発表された。

ハマーの素材は、ほとんどがマヤに土着的な人々や田舎の貧乏な政府の権力に戦う人々によって援助された左翼のグループが起こした市民戦争中にグアテマラの田舎で1975年に撮られた。ハマーは、ラテンアメリカ中の主要な政治的な反乱の時間だけではなく、アメリカの不安定な政治的なムーブメントの間、市民権からハマーが一番近いと見ていたフェミニズムの第二波の間に旅をしていた。ハマーのフッテージが公然と政治的な意図を提案しない間に、重い政治的な雰囲気のニュアンスが消失している伝統的な土着的なマーケット文化 - それは、地元の人々, 食べ物, 織物や風景のシーンとペプシコーラのような重要なグッズのイメージで並列されている - の映像を撮ることの選択の中に反映されている。
ストラートマンは、述べる「西洋マーケットがどう土着のマーケットを奪ってしまったのか、そしてその文化を変えてしまったんでしょうか。」
しかし、決定的に、カメラの後ろのハマーの存在はパワフルで政治的なジェスチャーだ。旅行し土着的な人々と接することのこの極めて重要な決定は、彼らのグループの中に座っている先住民の女性によって手渡されたボール一杯のスープを撮った映像の中に手を伸ばすハマーの手が「Vever」の初めてのシーンの中で明白に見られる。数少ない瞬間の一つに、実際12分の作品のいたるところで、私たちはハマーの存在を見る、この活動的な関与、彼女が発見する風景の中にクエアアメリカ人女性の政治的な体を挿入される。この一瞬、ハマーの性格がマーケットの中の女性の注視の中「Vever」に充満し、知らせる。彼女のカメラは、直接的に関与し、時々クローズアップし、彼らの美しさを捕らえ、個性やシャイな笑顔を通した反応、笑い、ポーズ;他の対照的な瞬間がある、幾人かは彼らの手を持ち上げて敵意の様相を見せ、カメラの方を指し、完全に素早くよける。ハマーはどちらも、つまり望まれていない存在も歓迎しているらしい、その外国の凝視と西洋のカメラは注目を浴びる、関与の一瞬を修正し、結果として、映像の中にハマーの存在を中心に置く。この解釈は、フィルムメーカーの視点に対照をなす:ハマーはどんな人々の背景も見ることができなかったと述べる。しかし、多分47年後にそのフッテージを見ることになり、ストラートマンの外側の凝視を通して、ハマーの重要な個人的で政治的な見解に光をあてる。ハマーからのストラートマンのモンタージュイメージ、デレンからの音と言葉、は彼女自身の個人的、政治的な立場の除去を提案する。しかし、それはストラートマンがこの作品の中に挿入するまさにこの距離であり、ハマーの存在にアクセスする新しい見晴らしの良い点を開く。90年代からのフィルムメーカーとして彼女が活動し始めたことで、それは、第3波のフェミニズムの視点からストラートマンの立ち位置を考えることになり、それは、素材や、コミュニケーション、過去のフェミニストの強い願望の視点の再調査と再び文脈付けすることを促すことによって多様性を進展させるために過去のフェミニズムの見解を批評する。同時に、特にこの仕事の例の中で、改革や変化、過小評価され不正確で見捨てられた人の改善された生活を支持する声の次世代への道を舗装した先行した女性世代への理解や感受性、責任の感覚に対しての要求があり、ストラートマンの距離は、ハマーの近い個人的な関与から逃げることはできず、ハマーのそれらとは違う接続を構築する批評的な観点を彼女に与える。
ハマーの素材への彼女の入り口のポイントは、多角的なアングルから、彼女の編集の選択から表現され、それは、マヤデレンの映画や著作、教えから借りた特徴を含んでいる。例えば、ハマーの「Vever」の中のフッテージは、静けさの中で撮られている間、ストラートマンはMeshes of the Afternoon (1943)のための伊藤ていじのコンポジションから採られた音を含む、スピリチュアルで不安なニュアンスを作り出している。それは、ハマーのフッテージの感情的な反響を強調し、デレンのアウラと神秘主義への結びつきを作り出す。その上、見る人の期待をかき立てるちぐはぐのカットを組み合わせることで知られる、デレンのスタイルは期待を中断させ、それは、加えて視点の方向感覚を失わせることを含むことでストラートマンの欲望を満足させる。
例えばマーケットのイメージで重ねられたVever のイラストレーションなどは、彼女に見る人がグアテマラで記録された直線のドキュメンタリーに現れる初めの様子の素材とともに予想できない方向に見る人を連れていくことを許す。ハマーのフッテージの再文脈化をする時、ストラートマンの距離は、彼女にうまく力と権威を与え、実際に映像制作に参加する時に、彼女が得たエモーショナルな接続を逃す。それはストラートマンにとって、彼女の映像は、しばしばもっと直感的な反応によって操縦されている、重要な障害だった。ここで再び彼女は、アドバイスのためにデレンの教えを召喚する、Divine Horsemen: The Living Gods of Haiti.(聖なる騎士たち:ハイチの生きた神々)のveversの象徴的なデザインに関連するこの時間、デレンが本の至るところにあるイラストレーションとしてのveversを使用していた、エモーショナルな通路や交差点のそれぞれの図案、それらの目的に一致する個人的な名前と一緒に - 魔法の星形五角形, 男女両性の全体性 - ストラートマンもまた Veverの中に含まれる。
ここで見る人は、ストラートマンが多くの軌跡の幾つかと遊ぶのが好きな人物であるというところで、彼女に想像的に関わることができる。多分、彼女は、彼らのスピリットに導くことで、veverのパワーを掻き立てることによって感情的にハマーとデレンにアクセスすることを試みているのだ。ほとんどない超自然への接近の中で、多分、veverは世代を超えてコミュニケーションする三人の女性アーティストの連結点を象徴化する。
ストラートマンのveverが運ぶものは、フィルムメーカーの個人的な説明責任を守る間、品位と一緒に作品を創るためのそれぞれの女性の強い願望である。最終的にストラートマンは、過去の視点を50年代から始まるハマーの終わらない70年代のプロジェクトから、彼女自身の経験を通して、デレンの瞑想と一緒に現代のこの瞬間に蘇らせた。切り離して、そして今現在一緒に、同時に違った点から、三人の女性がフィルムメーカーとしての彼らの決定がここで生じる。そして、権力から立ち去る試みをすること、それどころか失敗に直面する意欲と脆弱性の立場を抱擁する。再解釈を広げ、世代を超えた結びつきを作り出すことで知られていない挑戦を獲得する。
欠如した誠実さのために映画プロジェクトを断念するデレンとハマーの並置と制作の失敗の認識は、ストラートマンが前方へ押し出す内部の批評と自制を可視化する。彼ら三人は本質的には権力構造の一部であることに二者択一の可能性を想像すること、そこにあるエネルギーを示すこと。再度デレンから借りるために、彼女は1953年に人の恐怖にぶつかることと権力の矛盾に直面する心情を強固にする:退散することは、臆病だろうに。私は抵抗するかもしれない;しかし私は逃げてはダメ。そして私は抵抗することにベストを尽くし、自分自身考え、もし私が恐怖と神経質さを無視するなら:もし、私の脆弱性を疑う代わりに、私は、権力が私を強制するすべてのこの恥知らずの競争の中に自分自身を置く。この決定で私は強さの復活を感じる、自身の確実性の、そして私の適切なアイデンティティー。



何ていうか

さて、大木さんインタビューを終えて、一人大倉山の知らない居酒屋で深夜から飲むに至ったわけですが、

さてさて

トークでは、大木さんのお話の中で、とても大きな映画のプロダクションワークという話があり、そこから、自作へと

作品のパートの散りばめらられ方という、juxtaposing という編集、
を見て、
ユダヤ教という一神教、そして実際のそのユダヤ教そのものの神は一体そもそも誰なのか、ヤーウェ?ヤハウェ?だろうか、

編集の自体という行為、概念自体が哲学的すぎる話題であり、

など

ところで、実は大木さんがそれこそ神がかり的に作ってしまう、その映像体系、そしてその美学shönheit und esthetikに関しては、どうしても触れること/いや言葉にできることではなく、そこで、その「心の中」という表題/タイトル作品を拝見することができ、それは、いわゆる「映画」神/人と話をすることとは別途で、間会えざるおえない状況/河瀬直美

なんてことが起きてきて、
文節ではなく、そして帰結せず、

で最終章なんてものはなく、
それこそ、
そのjuxtaposingしながら、pararelに映像そのものへと対置していくわけなんだですが、

そこで物足りないなくなってしまった創造性

というところで、ストップしておこうなんて思ったりして、

自分も自己表現したいな、


という欲求が急速に湧き始めて
寝ることに至る











2019年11月22日金曜日

明日、11月23日大木さんトーク

、。いや、大木さん作品の以前から興味を持っていたわけですが、作家にこういう形で向き合えるのは、とてもいい機会であり、一体何を聞き出せるか、インタビューアーとして、たくさん興味があります。個人的にはいろいろ忘れかけている、人間の感じる、みたいなところを使って聞きたいです、感じることは、目に見えないし、色とか、痛みとか何かの言葉を使って表現されるかもしれないけれど、とても一方通行的なものであり、それが弱まった状態で作品に向き合うことはできず、素通りしてしまいます

2019年11月14日木曜日

2019年11月9日土曜日

そういえば、

そういえば、日本でexperimentar filmを専門的に勉強というか、教えているところ/クラスって、ないな、なんてのをふと思った。
どうしても、一般的な映像/映画の話に立ち戻りながらしか、映像を語ることができない?
いや、あるが、自分は出会ってないということか、
これは、メディアアートではないし、映画にすごく近いけれど、ムービングイメージと言えるのか?
その意味では、イメージフォーラムがそれなんだろうな
これがexperimental という定義もないと思うけれど、
ただそこを思考していく、というのはある

2019年10月22日火曜日

Screening終わりました

screening終了しました。

実は今まで、日本で、作品について”対話”をすることを避けていたところがあって、それを進んで今回はしたことに関して、自分にとってとても重要な意味を持つ機会になりました。このイベント自体、自分は面白いと思っているけれど、
社会的には、この内容に興味を持ってくれるか、全く疑問で、それでも、そこは度返しで、どうにかして、引き続きこういうエクスペリメンタルな、そして静逸で、緊張感のある、スクリーニングを行っていきたい、
そして、そのコマーシャリズムなんかに左右されない、作家主義で制作された映像への熱い視線を持って、作品そのものと対峙していきたい、
今回上映した作家の作品は、全くそれそのもので、どんな目的を持っていて、何を主張したいのか、なんてどうでもいいような、そんなレベルな話ではなく、その作品そのものが、ある哲学的な領域に入っていて、なぜ人間は存在して、生きているのか、映像とは何か、人間の前に置かれるカメラを通して、何が捉えられるのか、ある意味では、思考の極限状態のポイントで作られた作品群であると思った

この写真は、ユキエさんとongoingのディレクターの小川さんに撮って頂いたもの。
こういう機会を提供してくれる、この謎のOngoingというスペースは本当に貴重だと改めて思い知った、
どうやってこの世界に存在することになったのか、そして自分もこのスーパークリエィティブで、超パンクな人々とどうやって知り合うことになったのか、それがある意味では、運命的なものであると、思って

shelly silverさんのフェミニズムの話をもっと聞きたかった・・・
そして、何故大木さん、来てくれたのに帰ってしまったのか、それが心残りであり・・

ありがとうございました。心から。




2019年10月10日木曜日

Experimental film culture vol.1 in Japan

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キュレーションしました!1020()Art Center Ongoingで会いたいです!何卒宜しくお願い致します!
これまで、自分の中で考えていたこと。
アート映像、と一言で言った時に、それが一体どういうものなのか?それを考えると、いろいろなことが頭に浮かんでくる。ベルリンに行っていた時から、考えていたことを、これまで誰かと共有する場所がなかったので、それをまとめる形で、今回はキュレーションという形で、Ongoingの小川さんにご協力を頂き、上映会を企画することにしました。
考えていること。

■台本ではなくて、撮影やイメージ主体の映画/映像表現ってどういうものか。
■非ナラティブは、ナラティブからは逃げれない?
■ドキュメンタリーとフィクションの間。
■エクスパンデッドシネマって一体何?という問い。
■インスタレーションじゃなくて、上映というスタイル。
■コンテンポラリーアートと映画を学んだ映画作家/アーティスト/映像作家の表現を見てみたい
■コンテンポラリーアートの映像って全く訳が分からず、すべてを含む?
■実験映画とドキュメンタリーとコンテンポラリーアート映像は接するか?

すごく近いところにいながら、インディペンデント映画作家とアーティスト/映像作家は接しているようで、接していない?
ここら辺のことって自分にとってすごく微妙なポイント。

さて、今回はそういう意味を込めて、インディペンデントで活動する友人の映画作家/映像作家/アーティストの作品をキュレーションしました。美的感覚、ストラクチャー、表現手法のポイントで、キレがあるものばかり。ここ数年の、私の頭の中で重要な映像作品、できればどうにかこうにか、どなたかと是非とも共有したいと思っております。(時間がなくてPhilip Widmannの作品を共有できないのが残念でした。)

Experimental film culture vol.1 in Japan
この映像祭は、ベルリン・ニューヨーク・東京で活動する映像作家/映画監督/アーティストの作品を紹介する試みで開催されます。ここで上映される映像表現は、エクスペリメンタルフィルムとは何か?ドキュメンタリーとフィクションの間とは何か!?という問いに回答する一つのアプローチかもしれません。(キュレーション:鈴木光)

●以下のような映像作品を今回のスクリーニングでは見ることができます。
2018年のベルリン映画祭・フォーラムエクスパンデッド部門、短編部門で上映されたエクスペリメンタルフィルム。
2019年のベルリン映画祭・フォーラム部門で上映されたドキュメンタリー映画。
ベルリン在住の映像作家がアルゼンチンで制作した実験的なアナログフィルム作品。
ニューヨーク在住の作家が日本で制作したフェミニンな映像作品。
東京在住の写真家が制作した日常を発見する映像作品。
セルビアのすでに消失したホテルで撮影された超リアリズムフィクション(ロカルノ映画祭オフィシャルセレクション)

Aプログラム 14:30 (1h 6min)
Futuro, un film griego-argentino (7, 監督:Melina Pafundi)
From tomorrow on, I will (59, 監督:Ivan Markovic)

Bプログラム 16:00 (1時間12)
百光 (1時間12, 監督:西澤諭志)


Cプログラム 17:40 (1時間40)
ALL THE CITIES (1時間40, 監督:Dane Komljen)


Dプログラム 19:40 (1時間22)
Camera Threat (30, 監督:Bernd Lützeler)
Wishing Well (13, 監督:Sylvia Schedelbauer)
A tiny place that is hard to touch (39, 監督:Shelly Silver)
スクリーニングの後、Shelly Silverさん(コロンビア芸術大学教授)skypeトークあり。

21:10 予定:Skypeトーク

以下詳細説明
Aプログラム 14:30 (1h 6min)
作品1:「Futuro, un film griego-argentino
高い海からアトランティック, 太平洋, 地中海の海岸へ流れ着くものは、プラスティックかもしれないし、放射能かもしれないし、それはどこかに留まるかもしれない。ある夜、女性は地中海で動けなくなった。彼女の声は、翻訳することができなかった。

作家:メリーナ・パフンディ(Melina Pafundi)
1987年、アルゼンチン/マル・デル・プラタ生まれ。ベルリン在住。彼女は、アルゼンチンのブエノスアイレスで映画、哲学、ファインアートを勉強した。その後、ブエノスアイレスの映画ミュージアム(Pablo C. Ducrós Hicken)で、アナログフィルムアーカイブ修復士として働いていた。2016年からベルリン在住。他、フランツ・ミュラーの助監督として働いた経験がある。現在、実験的な映像作品を制作するLabor Berlinという団体のメンバー。


作品2:「From tomorrow on, I will
広大な街は成長し続け、調査されることなく留まっている。地下の住居には、二人の男が同じベッドをシェアしている。リは、夜働き昼寝る。彼のルームメイトのリズムは全く真逆だ。共有する時間は決してなく、そんないっときの住処を形づくっているのだ。そして、それは彼らがすぐに去らなければならない家でもあるのだ。

監督の言葉:
この映画「From tomorrow on, I will」は、北京の移住労働者の日々のリズムを追い、望みと可能性の間を揺れ動く様子を描く。数百万の中国人が地方から都市へ移住して、よりよい未来を確保することを望んでいる。主人公のリは、変化の見込みがない日常の労働の罠に捕まった自分自身を見つける。彼は、地下のすみかに、一時の住処を見つける、急速に成長する人目に触れない都市が、宙ぶらりんにとどまる。それは、どうやら実体化していないらしい。多くの移住者のように、リは、すぐに順応し、彼に課された容赦ないリズムに身を任せていく。都市の表面は変化し、より新しく, よりモダンになり、彼の手の届く距離から遠くなっていく。この映画はフィクションとドキュメンタリーの要素が混ぜ合わされるのだ:演じられる環境ではなく、素人の役者と共に、リアルな場所として発展する。密に主人公に焦点を当てることを通して、映画は、個人、グループ、急速に変化する都市の建築の間の関係を観察するのだ。

作家:二人の監督が製作。
イヴァン・マルコビッチ (Ivan Markovic)
ユーゴスラビア、ベルグラード生まれの映画監督/撮影監督。2012年にベルグラードの映画学校のドラマ芸術学科撮影コースを卒業。2019年にベルリン芸術大学の修士号を取得。2015年、ベルリン映画祭のベルリナーレタレントに参加。最近は、Dane Komljen監督の映画“All the cities of the north”、Ivan Salatić監督の映画You have the nightAngela Schanelecの映画Ich war zuhause, aber  (2019年のベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞)に撮影監督として参加。
White Birdは、Linfeng Wuと共同監督を務めた映画。それは、2016年にベルリン国際映画祭の短編部門で上映されている。2018年には、彼のエクスペリメンタルフィルム”Center”が、Doclisboa Film festivalでプレミア上映された。映画From tomorrow on, I willは、彼が、Linfeng Wuと制作したフィーチャーフィルム。これは、ベルリン映画祭2019のフォーラム部門でプレミア上映された。韓国の全州国際映画祭2019で、グランプリを獲得。現在彼は、ベルグラードとベルリンに住んでいる。

リンフェン・ウ(Linfeng Wu)
1989年中国の湖南省に生まれる。高校時代はアメリカで過ごし、シンガポールのLasalle College of the Artの映画監督コースを卒業した。彼の映画は、世界中で上映されている。2013年から北京に在住し、彼の映画プロダクションをスタート。2016年に、ショートフィルム"White Birdを制作。それは、第66回ベルリン映画祭で上映された。


Bプログラム 16:00 (1時間12)
作品3:百光(ひゃっこう)
制作年:2013
時間:72
作家の言葉:
この作品は、私が当時住んでいたアパートの様子を約一年間ビデオで記録したものを、「布団」、「台所」、「客人」、「窓」の四章に分類して編集しています。それぞれの章ごとに異なるフォーカスを充てることによって、当時、私がどんな生活をして、どんな人や物に囲まれ、どんなものを食べ、それにいくら払うか、そしてそのような生活を通してしか見えない景色がある、ということを、長い時間観客を拘束する「映画」という形式なら見せられる、と考えて制作しました。 鑑賞してくれた方々の、周囲の景色の仕組みを考える助けになれば幸いです。

西澤諭志(にしざわ さとし)
写真家/映像作家
1983年長野県生まれ。カメラで記録した身辺の映像から、細部の社会的、経済的な側面へも目を向ける為の作品を発表。 主な展覧会に「西澤諭志展写真/絶景 そこにあるもの」(LIXIL Gallery22009)、「Parrhesia #013 西澤諭志[普通]ふれあい・復興・発揚」(TAPギャラリー、2018 主な上映会に「西澤諭志特集:ドキュメンタリーのハードコア」(UPLINK2017


Cプログラム 17:40 (1時間40)
作品4All the Cities of the North
コメント by Ben Kenigsberg
この映画は、言葉にするのがほとんど不可能な映画だ。この実験的なフィーチャーフィルムは、従来型のナラティブや、主人公による表現を表出させているわけではない。イメージや音、全てにおいてコントロールされた関係を見ることができる。(それは、初めからはっきりとしている。私たちは、オープニングクレジットの間、映画館の静止画と打ち寄せる波を聞く。この映画は、フランス人の哲学者Simone Weilとジャンリュックゴダールを引用している。) 全ての対話は、ボイスオーバーだ。この物語のかけらは、初めに崩れ落ちそうな屋敷に住む二人の男に焦点を当てるーコムリエン監督のノートによれば、モンテネグロ郊外の消失したホテルコンプレックス、とある。彼らは決して話さず、しかし、彼らは、初めに、自然から身を守るために孤独にキャンプをしている。彼らは一緒に居眠りをし、地面をあさり、外で排尿をする。ベストテレビショーの中のニュースレターの契約をしたり、メールで送られてくるストリームの映画を見たりする。この映画は、どう人々がビルをリサイクルし、彼らが意図しない方法でそのスペースを私物化するのか、を見せる。ナレーションの通り雨は、建築の社会主義的な目的についてほのめかす。それは、ナイジェリアのラゴスやブラジリア(ユネスコの世界遺産)20世紀の都市計画のための国際展示場をユーゴスラビアで建設工事していることについてだ。この映画は、生産的で、勝手気ままで、不可解だと言うのが、難しい。しかし、それは、決して退屈ではない。この映画は、テーマの問題に似合った自然な流れと意志の間のバランスを勝ち取っている。

作家:ダーン・コムリエン(dane komljen)
1986年ユーゴスラビア生まれ。ベルグラードの映画学校で映画監督コースを卒業後、フランスのLe Fresnoyの大学院で現代アートを学ぶ。彼は、セルビアでビデオインスタレーション、ボスニアとクロアチアでショートフィルムを制作。「Our Body」は、2015年にロッテルダム映画祭のタイガーアワードコンペティションに選ばれ、UIP-Preisを獲得。他に彼が制作した映画は、ロカルノ映画祭、カンヌ映画際、で上映されている。
今回上映する作品「ALL THE CITIES」は、2016年に制作され、ロカルノ映画祭で上映された映画。


Dプログラム 19:40 (1時間22)
作品5Camera Threat
初めに
ムンバイの映画産業の憂鬱な場所のどこか、スター崇拝と迷信、日々の行き詰まり状態の渋滞、映画「キャメラ スレート」の映画都市は、このムービングイメージと共に、曖昧で時々被害妄想的な関係を探している。割り当てられたカウチに座る二人の役者は、フィクションから事実を言うのにもはや悩む必要のない世界で、即興の会話に身動きが取れなくなる。マサラフォーミュラ(Masala Formula)と呼ばれる制限された中の、拡張されたマルチジャンルなフィルムは、インドシネマから多くの人々によって知られている。

アーティストステーツメント
この会話は、数年前、私がムンバイの日々の行き詰まり状態を扱っていた時に生じた。その際、過去作品「the Voice of God」のために、低速度撮影のキャプチャをすることを決定していた。制御を解放する塊として16mmキャメラを置くこと、数時間のムンバイの交通渋滞撮影のための充電、または電源を探すことは全く不可能だった。この街のすべての電源は、商業的に利用されているからだ。ラッシュアワーが始まる時、数千の商人は、彼らのショップを渋滞の中に正しくセットアップするための機会として捉えている。これは、巨大なお客の大群を魅了する。この種の高い密度のショッピングの経験を楽しむらしい。朝、カメラを置く良い場所のように見える場所は、数時間後、人間の殺到と自転車によって溢れてしまうだろう。そして、渋滞それ自身によってすでに押しのけられてしまったなら、私はその地域によって悩まされるだろうに。その撮影の許可をお願いすること、そして、私から余分にチップを取ろうとすること。フィルム上でのこの狂った渋滞をキャプチャーすることの無限の試みの失敗の後、私は、戦略を変えることを決定し、スポーツバッグの中に、私のキャメラを隠し始めた。私のバッグを置く、理想的な場所を探していた特別な日:一日中交差する、ものすごい交通と忙しい鉄道連絡駅。カメラをセットした数分後に、私は数メートル先にいる二人の男に見張られていることに気付いた。私のバッグから外へ覗くレンズについて憤然として話している。どんな潜在的なトラブルも避けるために、彼らのいる向こう側へ移動した、そして何か問題があったかどうか尋ねた。問題があった。そしてその問題には名前があった:その問題は、「キャメラスレート」だった。

背景
私が、今までヒンディー映画を初めて借りて見てから今まで、字幕なしで全くドロップアウトしてしまっているVHSテープに魅了されていた。それは、音にも不具合がある使い古されたものだった。ポピュラーなインド映画の中の場所や、時間、ジャンルに、それがつじつまが合わないから興味を持ったのだ。マサラ フォーミュラ(Masala Formula)として知られるこのナラティブな形は、多様な映画ジャンルを一つのストーリーラインに一緒に一列に並べることによって、ロジックを超えて目を見張りどれよりも面白い。私は、この荒削りな、だけどエキサイティングなフィルム構造でいつも実験したいと思っていた。ムンバイへの旅行の間に、マサラ実験(a Masala experiment)のための十分な素材を得るために、たくさんの素材や、ファウンドフッテージ、アイデアが集積した。そこに異質なフィルムとビデオの断片がスクリーンに一緒に構成されるということを実現するまでに、最終的に15年かかった。私の過去のフィルムでは、私は、ムンバイの地域に根付いた技術者とフィルムラボで、16mm35mmフィルムで作品を作っていた。当時、この新しいプロジェクトのために、それらでもう一度作品を作ることを決心した。しかし、私たちがそれを始めた後すぐに、私は彼らのほとんどが廃業する事態を目撃してしまった。彼らのドアは一生閉まったままであり、さらに悪いことには、電話のベルは鳴り続けるが、それを誰も取ろうとしないことだ。どうやら、私は、最後のお客になったようだった。映画産業のデジタル化はついにムンバイにも達した。そして、この厳しい乗っ取りのクライマックスに、私は両方のメディアが平和的に共存するハイブリッドな映画を作ることを決心した。私が全ての種類のアナログとデジタルフォーマットを組み合わせてから、私は私のマサラエクスペリメント(Masala experiment)のコンセプトを拡張した。:アナログとデジタルのイメージが共存して、35mmとデジタルプロジェクターから投影されるだろう。そして、最終的に二つの光の錐体がスクリーンの上に融合するだろうに。

作家:ベアンド・ルッツェラー(Bernd Lützeler)
1967年デュッセルドルフ生まれ。
ベアンド・ルッツェラーは、ベルリンとムンバイを拠点に制作活動を行っている、フィルムメーカー/アーティスト。彼の制作の中で、彼は、構造と知覚に関係するムービングイメージの制作と提示の技術を模索している。ループ、ファウンドフッテージ、DIYの技術は、彼の映画とエクスパンデッドシネマに不可欠な部分である。ムンバイへの旅行は、都市のコンテキストを踏まえて、人気のあるインドシネマやテレビの美学を調査するという視点から、彼の作品に強い衝撃を与えている。これまで作品は、世界中の会場、フェスティバル、それはポンピドューセンター、ベルリン国際映画祭、ロッテルダム映画祭、サンフランシスコシネマテーク、アヴァンギャルドな他様々な場所で、上映されてきた。ベアンドは、アーティストが運営するLaborBerlinのメンバーでもある。

作品6:「Wishing Well
今回上映される短編映画「Wishing Well(13min)は、ベルリン映画祭の短編部門で2018年に上映されたフリッカー映画。流れるような風景とカラフルな色彩は、時間の解体を引き起こす。フリッカー手法は、動きそのものの超越した主体性を浮かび上がらせる。森の気の流れは、誰かとの再会を催す、それは見る人を危ない世界へと連れ込む。

作家: シルビア・シェーデルバウアー=Sylvia Schedelbauer
東京生まれ。1993年からベルリンをベースに活動を始める。ベルリン芸術大学卒業。 彼女の映像作品は、パーソナルでナラティブな物語を扱う。彼女がどこかで発見したアーカイブ・フィルムのフッテージの操作で製作される作品は、アナログフィルムの持つ力と共に、人間の精神へ直接的に訴えかける。これまで彼女の作品は、ベルリン映画祭、トロント国際映画祭、オーバーハウゼン映画祭、ロンドン映画祭、ニューヨーク映画祭、ロバートフラハティー国際映画セミナー、スタンブラッケージシンポジウムなどで上映されてきた。ベスト”エクスペリメンタルフィルムとして、ビルドクンスト賞、ドイツ映画批評賞、ガスヴァンサント賞を受賞。また、2019年から、シェーデルバウアーは、ハーバード大学のthe Radcliffe研究施設での特別研究員を務める。

作品7a tiny place that is hard to touch (触れがたき小さな場所)
東京, 竪川の顔のないアパートで、アメリカ人の女性は、日本人の減少する出生率についてのインタビューを翻訳するために日本人女性を雇う。

アメリカ人女性は、日本の彼女が知っている知識に出しゃばる:
日本人女性は批評的な距離に立って、自分自信で作りだした「過剰」行為から苦しむ。彼女たちは、彼女たちのストーリーが、サイエンスフィクションの領域にハイジャックされるところで、愛や欲望の中に一緒に、あつれきを生じさせ、戦い、衝突する。翻訳者は、自身の消滅の認識に感染してしまった世界から、物語と共に彼らの仕事の開催を妨害する。この付近はすでに、荒廃されていることで知られていた。アメリカの爆弾によって194539日の夜に壊滅させられていたのだ。

三番目の主人公は、竪川自信だ。翻訳者のアパートを過ぎて走る高く持ち上げられた幹線道路によって覆われた用水路は、付近にその名前を知らせる。歪んだ青、緑、ピカピカ光る黒のパターンが、コンクリートワールドへ反射すること、竪川は、鳥や靴、コンドーム、ビニール袋、花、大きな魚、小さな魚、死、ライフ、の変化する行進を輸送するのだ。

作家:
シェリー・シルバー(Shelly Silver)
1957年ニューヨーク生まれ。コーネル大学(Cornell University)で、歴史とコンセプチュアルアートを勉強した。写真家としてキャリアをスタートし、書籍制作に移行。それから、ムービングイメージに落ち着いた。卒業後、広範囲に渡った映画とビデオの編集の仕事をした。商業映画とテレビの彼女の経験は、彼女の初期のコンセプチュアルアートと構造主義の絡み合いと同様に、映画とテレビの文法の形式的な曲がりを通して、世界について彼女に話させる。