2019年12月2日月曜日

映画「ジョーカー」見ました

映画「ジョーカー」見ました

久しぶりのブロックバスター映画をまさか見ることになるなんて、

母親と息子の関係、は自分が男である以上は、いろいろハッとさせられるものがあり、

これはタクシードライバーという作品が背景にある、という話もあったけれど、
確かにその通りでもあった。

私が、やはり今回度肝を抜かれたのは、最後に、主役のアーサーを呼んでくれた司会のコメディアンを彼が、ぶっ殺すくことになったこと、
あそこで、さらにもし、アーサーが自殺していたら、さらにとんでもない、ホラー/恐怖映画になったであろうが、
演出はそうはせずに、彼は、その場所で捕まり、途中、自分がこの社会に蔓延するヒエラルキー社会に氾濫して暴徒化した民衆に、警察からすくい上げられて、初めから彼の「笑」が病気であったというところから一転して、その病気の苦しい笑が、彼の本当に笑に変わり、ある意味では、ハッピーエンドになってしまう、という転換/一般社会の転覆が起きたこと、

つまり、彼は、鬱屈した今までの日常を、突然気が狂ったことで、自分の人生を社会から認められた/認知されてしまった、

そして、それが、社会のウミとの強く関係している

確かに今年の象徴的な一作である、

勝手に最初思ったのは、カラーグレーディングがきつい?
とか、リアリズム映画ばかり見ている自分みたいな人間にとってはそんなことを思ってしまった

しかし、この恐怖は、最後まで見入ってしまったし、楽しんだし、ホラー映画だと思ったし、行くところまでいってしまって、それが気持ちよくもあり、自分のトラウマ(個人的なトラウマ)をも想起させてしまう、ドラマでもあった

アーサーが実業家の男のもとに、現れて、自分の母親がそいつのところで以前働いていて、自分はその男の子供なのだと、ぶちまけるが、反対にその男にお前の母親は頭がおかしい病人で、アーサーが養子だったことを告げられる場面、いつもの笑という病気を発動させて、その父親だと信じた男に殴られてしまう、
これに近い経験を僕はした、な、というそのトラウマを思い出したのだ、
父親と最後話したとき、
もうお前は俺の息子ではない、
と言ってこちらが話そうとしたらがちゃんと電話を切られた。
呆然としたこと、そんなことを思い出したのだ

また、今日は、アメリカ社会について毎日新聞の記事をたまたま読んだ
格差社会が広がっていて、一部の富裕層が言ったことが正しくなってしまい、民主主義がない、非正規雇用、雇用がない、など、ある大学生は、学校を出たときに1000万円の借金をして卒業、そのあとインターンを無償でするが、そのまま雇われずこれからどうするのか、というもの。
20代の人が、社会の未来に希望を持てない人が多く、社会主義国家への期待、をもっていると、
確かに競争社会が続いてきて、
勝ち続けた人と、それを必ずしもできなかった家族単位での差は、現在大きなものになっているのではないだろうか。
アメリカの話、そして日本の政治もまさに腐敗したゴッサムシティー東京という感じ




















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