2018年6月17日日曜日

Butai

舞台Theater X 見に行ってきました。
実は、Omer Fastのゴドーを待ちながらの撮影でエキストラとして参加して、そこで演じていた役者が、シリア出身の難民で、そこで知り合いになり、そこから、このTheater Xの存在を知ってずっと見に行こうと思っていたのですが、ついにやっとのことで見てきました。

二十代前半のドイツで生まれている、でも他の国からの移民である2世が、ドイツ語のラップで、イスラムや肌の色に関して、自分たちの両親が生まれた国について、歴史的な戦争などを軸にしたラップ。かっこよかったです。自虐なその演出が、

ほとんど観客はドイツ人の若い人たちだと思いますが、かなり受けていました。活気があって、また行ってみたいと思っています。




2018年6月8日金曜日

Cementery of splendor 2

叙事詩

a reflection by oneself.

色が代わる/変化する = 現実世界/他の世界 erhaben (ドイツ語)超越感覚

ミュージックビデオのよう

カットに切り替わりにはっきりとした意味がない

ポストコロニアリズム

アメリカ的なチープでcheesyなモチーフ/ユーモア

フィクションとドキュメンタリーがない➡︎ゴダール「They are」それらが映画
=過去のアピチャッポン映画のショーとしての映画/見せる 事を超えて、何が現実か信じられなくなる。
➡︎二人の死んでいる人が現実の中に紛れ込んでいる。映画中盤。

アイデンティティーの損傷が見える?

ライトは、すごくナチュラルに見えるライトを使っている。部屋の中はそんなに明るいわけない。

ショットは、肩ごしの顔のショットなどの説明的なものがない。引きが多い。






2018年6月6日水曜日

Cementery of splendor

アピチャッポンの「Cementery of splendor」を3回目ですね、見たの

実は僕は全然アピチャッポン見て、何のことやらと、ずっと思っていました。
人に言われて、いいよね、なんて答えていたわけですが、
実はあんまりピンときていなかった、というのが正直なところです。

実は結構そういうのあって、あれいいよねって言われた時に、う〜〜んとかって実はなっている自分がいたりする。

たまに、自分で全然わかってないんじゃないのか?という自問自答をしたりしています。


はいところで、
結構何本か彼の初期作品含めて見ています、


それで、
今回これを見ていたら、すごい高度なことやってるなってことに気づきました。いろいろリアリスティックでナチュラルで気づかないのか、ということ

カットの切り替わりの秒数も絶妙だし、切り方も気持ちいいし、カメラとその中にさりげなく入ってくる物語の構成が何よりすごく詩的で、モチーフのイメージがいいのかな・・・

これ何回も見てみる価値ありですね、
この絶妙な感じ・・・・学ぶところありです。

これはでも、彼がゲイだからか、なんて思ったり・・

ランボーとか全然関係ないけど、マッチョ野郎感が全然ない
僕はランボー何回見たかわからないぐらい見てます、ちなみに




2018年6月4日月曜日

2018年7月23日日本へ・映画

2018年7月23日日本へ帰ります。
今回の帰国は前回とは違って、まぁわりと本気の帰国を考えていますが、また機会があればドイツに来たい〜、ということも思っています。そうじゃないと面白くないですよね。
あと、1ヶ月と19日か。

映画のことを考えると、体制が大きくて、難しいなぁと思うんですが、今はそこに集中して、

でも今のプロジェクトが終わったら小さい自分のプロジェクトをやりたいです。
それまではやり抜くぞ
ですね

2018年6月2日土曜日

Anna May Wong



Anna May Wongは、20世紀始めにアメリカで活躍した女優です。その彼女の初期作品「Großstadtschmetterling. Ballade einer Liebe」を見ました。
この作品は、ベルリン出身の監督Richard Eichbergによって作られました。撮影された場所は、Paris, Nizza, Monte Carlo だそうです。すごいですね、この時代に劇映画撮るって今の時代と比べて100倍大変そうですよね。

そして、
1900年の始めにヨーロッパ・アメリカにアジア人がいたらどういう風に見られるんでしょう。今でこそ当たり前のアジア人の顔ですが、当時は絶対アジア人が通るたびに、不思議な顔で西洋人は見ていたのではないでしょうか。偏見や差別なども考えられますよね。
そこにはすごい興味がわきます。

Eichberg監督のAnnaとの3回目の映画「Der Weg zur Schande (1930) 」は、Annaの初めての音がついた映画です。その中でAnnaは様々な男役と役を演じました。そこでは、彼女は、ドイツ語とフランス語を話して、英語も含めた3言語のバージョンが作られたということです。

1929年に制作されたこの映画、その中で、出演者として唯一のアジア人女性が主役であり、すごく魅力を放っていました。

この映画上映は、ピアノ演奏とガラスや砂などを使って音を奏でる奏者の演奏が一緒になったライブコンサート上映というすごく贅沢な形でした。


さて、中身は、
見世物小屋の紹介役を務める Anna は、ある男につけ狙われて、殺人未遂の容疑にかけられそうになったりして、そこから逃げ出します。ある一人の優しい画家に出会い、しばらく素敵な時間を過ごしますが、突然その凶暴な男に居所を突き止められ、その男のせいで画家のお金を盗んだ容疑をかけられて、一人道バタで売り子をする日々。そんな中、その画家が描いたAnnaの絵画を買った大金持ちが、Annaの元へ訪れて彼女を保護する。その画家を未だに好きでいた彼女は、自分の疑いをいつか晴らしたいと思っている。その時が、社交界のダンスパーティにやってくる。

という素敵でロマンティックなドラマでした。

またタイミングあえば、他の映画もみたい〜


2018年5月23日水曜日

feminism

最近、いつも話題になるような気がするんだけど、
フェミニスム、これは大きなお話ですね、

是枝監督が家族の物語でカンヌで賞をとった裏では、他の監督作品ではこのフェミニスムの映画がカンヌをせめている。と言いたかった、それは、女性が活躍するのを応援しているから、とおせいじにも。
https://womenandhollywood.com/infographic-women-directors-at-cannes-2018-seehernow/

日本人にとってこのこと(フェミニズム)は馴染みが薄い、

それは我が国の文化は、女性の儚さや遠慮、控えめが良しとされる文化であり、それと男性中心主義的世界が一体となっている。

ところが、そんなものはないヨーロッパでは、女性の権利と男性の権利を同等にするために日々頑張る女性たちがたくさん、。例えば、男性の賃金に対する女性の賃金の低さが更にいつも話の種になる。

と、そんな話をすると、私は、個人的にはドイツ人女性は本当に強いと感じる時がたくさんある。

そして彼女たちも男たちと同様に、どれだけ私たちが強いかを競おうとする社会があるように思う。

僕は外人でアジア人だから、そこに外れたところに存在しているのを、また肌に感じるわけだけれど、

いや、ところで、日本での男性中心主義的な社会に対しては、僕も正直ちょっと抵抗感があるように思う。

帰ったら、それを食らうんだろうな・・・なんて

そして、安倍政権しかり、ヨーロッパのデモクラシーと比べると子供の社会であることは否めない。

それは、私たちはディスカッションというものをきっちりと学校では学べない、どう自分自身が考えるのか、

ヨーロッパ人はそれと比べると本当にみんな自分の意見を持っていることが当たり前で、女性であれ男性であれかなり強い。

さて、日本人、いや日本に帰る私、ほっと安心はいいものの、どう付き合っていくべきか。

そして、古い世代の男性の方々とも、ちゃんと付き合えるかどうか、









2018年5月21日月曜日

イタリア映画と

イタリア映画 「Sedotta e abbandonata」を見ました。
昔の映画ですね〜、笑ったけど。
というのは、イタリア人のある少女が処女を奪われ、家族全員で結婚しろとその相手に迫る映画であったからです。現代においてそのテーマはすでに原始と言える。

激しいその撮影手法や、編集はドラマを盛り立てる演出になっていて、それが今私の2018年の現代人として、とても逆に新鮮に映るということがおきました。こういうのを今誰かやってくれないか、なんて思ってしまいますが〜。


全然違うことですが、「alfredo jaar」 友達に言われて少し気になっています。
http://www.alfredojaar.net/

今現在、ちょっと簡単な台本なるものを準備中ですが、うまく行くかどうか、何をやりたいのか、
少し自分に問い詰めて、今なぜか「人種差別」にぶつかったというところにいます。