2019年11月15日金曜日

トーク11月23日(土) art center ongoing にて

大木裕之さん個展

個展〈オーマイゴッド!〉
11月13日(水)~11月24日(日)
@吉祥寺/Art center Ongoing
http://www.ongoing.jp/en/index.php

23日(土)19:00~ 私トークに呼んで頂きました。何と、大木さんの展示にこういう形で関われるなんて、今まで考えたこともありませんでした。今回は、イスラエルとエチオピア?の映像がミックスされている?のでしょうか。僕とイスラエルとの関係は、宗教家と言えるかどうかその親父と聖書の話をしたこと、脱線するなら、(実は最近某宗教団体の撮影に行ったことがあって、宗教とは未だにすごくたくさんの人々に影響を与えていることであると改めて感じたこと) この場所に渦巻いている信仰心?について。あと、25歳の時にインド、タイに旅した時に知り合ったイスラエル人で、その後その人がイスラエルから日本に来て一緒に日本を旅したこと、そした、さらには、僕はアウシュビッツに二回言って、二回目は、日本人のガイドが話す全ての話を録音しに行った経験、など、がありますが、

何だか、その話は、このぐらいで終わりで、大木さんという映像作家が、その場所で一体何を体験し、映像として何を堀当てたのか、そこを映像という観点からお話をお聞きしたいです。

そして映像に関して、大木さんの映像作品、僕は実は7本ぐらいしか、見ていず(展示含む)、大木さんが、演出、手持ち、三脚を使うのか、フィルムとは?、なんてことも含めて、次回、実は上映会を企画していて、そこに大木さん作品も上映頂く予定で、それも含めていろいろ知りたいことはたくさんあります。

僕はエチオピアには、行ったことがない、アフリカに行ったのはチュニジアに一回行ったことがあるぐらいで、よくわかっておりません。雰囲気がヨーロッパとはだいぶ違ったな、空港に降りた瞬間に、銃を持っている軍隊がいたし、英語もドイツ語も通じないし、

さて、現在も中東地域では様々な紛争が、僕30代の記憶ではイラク戦争から始まっている、ぐらいで、大木さんとは、世代が違うので、全くそこら辺の知識や体験も違うと思うのですが、ベルリンで、難民の受け入れのボランティアに行ったこともあって、などなど、
頭にあることをいろいろ。
トーク楽しみです!!

2019年11月14日木曜日

2019年11月9日土曜日

そういえば、

そういえば、日本でexperimentar filmを専門的に勉強というか、教えているところ/クラスって、ないな、なんてのをふと思った。
どうしても、一般的な映像/映画の話に立ち戻りながらしか、映像を語ることができない?
いや、あるが、自分は出会ってないということか、
これは、メディアアートではないし、映画にすごく近いけれど、ムービングイメージと言えるのか?
その意味では、イメージフォーラムがそれなんだろうな
これがexperimental という定義もないと思うけれど、
ただそこを思考していく、というのはある

2019年10月22日火曜日

Screening終わりました

screening終了しました。

実は今まで、日本で、作品について”対話”をすることを避けていたところがあって、それを進んで今回はしたことに関して、自分にとってとても重要な意味を持つ機会になりました。このイベント自体、自分は面白いと思っているけれど、
社会的には、この内容に興味を持ってくれるか、全く疑問で、それでも、そこは度返しで、どうにかして、引き続きこういうエクスペリメンタルな、そして静逸で、緊張感のある、スクリーニングを行っていきたい、
そして、そのコマーシャリズムなんかに左右されない、作家主義で制作された映像への熱い視線を持って、作品そのものと対峙していきたい、
今回上映した作家の作品は、全くそれそのもので、どんな目的を持っていて、何を主張したいのか、なんてどうでもいいような、そんなレベルな話ではなく、その作品そのものが、ある哲学的な領域に入っていて、なぜ人間は存在して、生きているのか、映像とは何か、人間の前に置かれるカメラを通して、何が捉えられるのか、ある意味では、思考の極限状態のポイントで作られた作品群であると思った

この写真は、ユキエさんとongoingのディレクターの小川さんに撮って頂いたもの。
こういう機会を提供してくれる、この謎のOngoingというスペースは本当に貴重だと改めて思い知った、
どうやってこの世界に存在することになったのか、そして自分もこのスーパークリエィティブで、超パンクな人々とどうやって知り合うことになったのか、それがある意味では、運命的なものであると、思って

shelly silverさんのフェミニズムの話をもっと聞きたかった・・・
そして、何故大木さん、来てくれたのに帰ってしまったのか、それが心残りであり・・

ありがとうございました。心から。




2019年10月10日木曜日

Experimental film culture vol.1 in Japan

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キュレーションしました!1020()Art Center Ongoingで会いたいです!何卒宜しくお願い致します!
これまで、自分の中で考えていたこと。
アート映像、と一言で言った時に、それが一体どういうものなのか?それを考えると、いろいろなことが頭に浮かんでくる。ベルリンに行っていた時から、考えていたことを、これまで誰かと共有する場所がなかったので、それをまとめる形で、今回はキュレーションという形で、Ongoingの小川さんにご協力を頂き、上映会を企画することにしました。
考えていること。

■台本ではなくて、撮影やイメージ主体の映画/映像表現ってどういうものか。
■非ナラティブは、ナラティブからは逃げれない?
■ドキュメンタリーとフィクションの間。
■エクスパンデッドシネマって一体何?という問い。
■インスタレーションじゃなくて、上映というスタイル。
■コンテンポラリーアートと映画を学んだ映画作家/アーティスト/映像作家の表現を見てみたい
■コンテンポラリーアートの映像って全く訳が分からず、すべてを含む?
■実験映画とドキュメンタリーとコンテンポラリーアート映像は接するか?

すごく近いところにいながら、インディペンデント映画作家とアーティスト/映像作家は接しているようで、接していない?
ここら辺のことって自分にとってすごく微妙なポイント。

さて、今回はそういう意味を込めて、インディペンデントで活動する友人の映画作家/映像作家/アーティストの作品をキュレーションしました。美的感覚、ストラクチャー、表現手法のポイントで、キレがあるものばかり。ここ数年の、私の頭の中で重要な映像作品、できればどうにかこうにか、どなたかと是非とも共有したいと思っております。(時間がなくてPhilip Widmannの作品を共有できないのが残念でした。)

Experimental film culture vol.1 in Japan
この映像祭は、ベルリン・ニューヨーク・東京で活動する映像作家/映画監督/アーティストの作品を紹介する試みで開催されます。ここで上映される映像表現は、エクスペリメンタルフィルムとは何か?ドキュメンタリーとフィクションの間とは何か!?という問いに回答する一つのアプローチかもしれません。(キュレーション:鈴木光)

●以下のような映像作品を今回のスクリーニングでは見ることができます。
2018年のベルリン映画祭・フォーラムエクスパンデッド部門、短編部門で上映されたエクスペリメンタルフィルム。
2019年のベルリン映画祭・フォーラム部門で上映されたドキュメンタリー映画。
ベルリン在住の映像作家がアルゼンチンで制作した実験的なアナログフィルム作品。
ニューヨーク在住の作家が日本で制作したフェミニンな映像作品。
東京在住の写真家が制作した日常を発見する映像作品。
セルビアのすでに消失したホテルで撮影された超リアリズムフィクション(ロカルノ映画祭オフィシャルセレクション)

Aプログラム 14:30 (1h 6min)
Futuro, un film griego-argentino (7, 監督:Melina Pafundi)
From tomorrow on, I will (59, 監督:Ivan Markovic)

Bプログラム 16:00 (1時間12)
百光 (1時間12, 監督:西澤諭志)


Cプログラム 17:40 (1時間40)
ALL THE CITIES (1時間40, 監督:Dane Komljen)


Dプログラム 19:40 (1時間22)
Camera Threat (30, 監督:Bernd Lützeler)
Wishing Well (13, 監督:Sylvia Schedelbauer)
A tiny place that is hard to touch (39, 監督:Shelly Silver)
スクリーニングの後、Shelly Silverさん(コロンビア芸術大学教授)skypeトークあり。

21:10 予定:Skypeトーク

以下詳細説明
Aプログラム 14:30 (1h 6min)
作品1:「Futuro, un film griego-argentino
高い海からアトランティック, 太平洋, 地中海の海岸へ流れ着くものは、プラスティックかもしれないし、放射能かもしれないし、それはどこかに留まるかもしれない。ある夜、女性は地中海で動けなくなった。彼女の声は、翻訳することができなかった。

作家:メリーナ・パフンディ(Melina Pafundi)
1987年、アルゼンチン/マル・デル・プラタ生まれ。ベルリン在住。彼女は、アルゼンチンのブエノスアイレスで映画、哲学、ファインアートを勉強した。その後、ブエノスアイレスの映画ミュージアム(Pablo C. Ducrós Hicken)で、アナログフィルムアーカイブ修復士として働いていた。2016年からベルリン在住。他、フランツ・ミュラーの助監督として働いた経験がある。現在、実験的な映像作品を制作するLabor Berlinという団体のメンバー。


作品2:「From tomorrow on, I will
広大な街は成長し続け、調査されることなく留まっている。地下の住居には、二人の男が同じベッドをシェアしている。リは、夜働き昼寝る。彼のルームメイトのリズムは全く真逆だ。共有する時間は決してなく、そんないっときの住処を形づくっているのだ。そして、それは彼らがすぐに去らなければならない家でもあるのだ。

監督の言葉:
この映画「From tomorrow on, I will」は、北京の移住労働者の日々のリズムを追い、望みと可能性の間を揺れ動く様子を描く。数百万の中国人が地方から都市へ移住して、よりよい未来を確保することを望んでいる。主人公のリは、変化の見込みがない日常の労働の罠に捕まった自分自身を見つける。彼は、地下のすみかに、一時の住処を見つける、急速に成長する人目に触れない都市が、宙ぶらりんにとどまる。それは、どうやら実体化していないらしい。多くの移住者のように、リは、すぐに順応し、彼に課された容赦ないリズムに身を任せていく。都市の表面は変化し、より新しく, よりモダンになり、彼の手の届く距離から遠くなっていく。この映画はフィクションとドキュメンタリーの要素が混ぜ合わされるのだ:演じられる環境ではなく、素人の役者と共に、リアルな場所として発展する。密に主人公に焦点を当てることを通して、映画は、個人、グループ、急速に変化する都市の建築の間の関係を観察するのだ。

作家:二人の監督が製作。
イヴァン・マルコビッチ (Ivan Markovic)
ユーゴスラビア、ベルグラード生まれの映画監督/撮影監督。2012年にベルグラードの映画学校のドラマ芸術学科撮影コースを卒業。2019年にベルリン芸術大学の修士号を取得。2015年、ベルリン映画祭のベルリナーレタレントに参加。最近は、Dane Komljen監督の映画“All the cities of the north”、Ivan Salatić監督の映画You have the nightAngela Schanelecの映画Ich war zuhause, aber  (2019年のベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞)に撮影監督として参加。
White Birdは、Linfeng Wuと共同監督を務めた映画。それは、2016年にベルリン国際映画祭の短編部門で上映されている。2018年には、彼のエクスペリメンタルフィルム”Center”が、Doclisboa Film festivalでプレミア上映された。映画From tomorrow on, I willは、彼が、Linfeng Wuと制作したフィーチャーフィルム。これは、ベルリン映画祭2019のフォーラム部門でプレミア上映された。韓国の全州国際映画祭2019で、グランプリを獲得。現在彼は、ベルグラードとベルリンに住んでいる。

リンフェン・ウ(Linfeng Wu)
1989年中国の湖南省に生まれる。高校時代はアメリカで過ごし、シンガポールのLasalle College of the Artの映画監督コースを卒業した。彼の映画は、世界中で上映されている。2013年から北京に在住し、彼の映画プロダクションをスタート。2016年に、ショートフィルム"White Birdを制作。それは、第66回ベルリン映画祭で上映された。


Bプログラム 16:00 (1時間12)
作品3:百光(ひゃっこう)
制作年:2013
時間:72
作家の言葉:
この作品は、私が当時住んでいたアパートの様子を約一年間ビデオで記録したものを、「布団」、「台所」、「客人」、「窓」の四章に分類して編集しています。それぞれの章ごとに異なるフォーカスを充てることによって、当時、私がどんな生活をして、どんな人や物に囲まれ、どんなものを食べ、それにいくら払うか、そしてそのような生活を通してしか見えない景色がある、ということを、長い時間観客を拘束する「映画」という形式なら見せられる、と考えて制作しました。 鑑賞してくれた方々の、周囲の景色の仕組みを考える助けになれば幸いです。

西澤諭志(にしざわ さとし)
写真家/映像作家
1983年長野県生まれ。カメラで記録した身辺の映像から、細部の社会的、経済的な側面へも目を向ける為の作品を発表。 主な展覧会に「西澤諭志展写真/絶景 そこにあるもの」(LIXIL Gallery22009)、「Parrhesia #013 西澤諭志[普通]ふれあい・復興・発揚」(TAPギャラリー、2018 主な上映会に「西澤諭志特集:ドキュメンタリーのハードコア」(UPLINK2017


Cプログラム 17:40 (1時間40)
作品4All the Cities of the North
コメント by Ben Kenigsberg
この映画は、言葉にするのがほとんど不可能な映画だ。この実験的なフィーチャーフィルムは、従来型のナラティブや、主人公による表現を表出させているわけではない。イメージや音、全てにおいてコントロールされた関係を見ることができる。(それは、初めからはっきりとしている。私たちは、オープニングクレジットの間、映画館の静止画と打ち寄せる波を聞く。この映画は、フランス人の哲学者Simone Weilとジャンリュックゴダールを引用している。) 全ての対話は、ボイスオーバーだ。この物語のかけらは、初めに崩れ落ちそうな屋敷に住む二人の男に焦点を当てるーコムリエン監督のノートによれば、モンテネグロ郊外の消失したホテルコンプレックス、とある。彼らは決して話さず、しかし、彼らは、初めに、自然から身を守るために孤独にキャンプをしている。彼らは一緒に居眠りをし、地面をあさり、外で排尿をする。ベストテレビショーの中のニュースレターの契約をしたり、メールで送られてくるストリームの映画を見たりする。この映画は、どう人々がビルをリサイクルし、彼らが意図しない方法でそのスペースを私物化するのか、を見せる。ナレーションの通り雨は、建築の社会主義的な目的についてほのめかす。それは、ナイジェリアのラゴスやブラジリア(ユネスコの世界遺産)20世紀の都市計画のための国際展示場をユーゴスラビアで建設工事していることについてだ。この映画は、生産的で、勝手気ままで、不可解だと言うのが、難しい。しかし、それは、決して退屈ではない。この映画は、テーマの問題に似合った自然な流れと意志の間のバランスを勝ち取っている。

作家:ダーン・コムリエン(dane komljen)
1986年ユーゴスラビア生まれ。ベルグラードの映画学校で映画監督コースを卒業後、フランスのLe Fresnoyの大学院で現代アートを学ぶ。彼は、セルビアでビデオインスタレーション、ボスニアとクロアチアでショートフィルムを制作。「Our Body」は、2015年にロッテルダム映画祭のタイガーアワードコンペティションに選ばれ、UIP-Preisを獲得。他に彼が制作した映画は、ロカルノ映画祭、カンヌ映画際、で上映されている。
今回上映する作品「ALL THE CITIES」は、2016年に制作され、ロカルノ映画祭で上映された映画。


Dプログラム 19:40 (1時間22)
作品5Camera Threat
初めに
ムンバイの映画産業の憂鬱な場所のどこか、スター崇拝と迷信、日々の行き詰まり状態の渋滞、映画「キャメラ スレート」の映画都市は、このムービングイメージと共に、曖昧で時々被害妄想的な関係を探している。割り当てられたカウチに座る二人の役者は、フィクションから事実を言うのにもはや悩む必要のない世界で、即興の会話に身動きが取れなくなる。マサラフォーミュラ(Masala Formula)と呼ばれる制限された中の、拡張されたマルチジャンルなフィルムは、インドシネマから多くの人々によって知られている。

アーティストステーツメント
この会話は、数年前、私がムンバイの日々の行き詰まり状態を扱っていた時に生じた。その際、過去作品「the Voice of God」のために、低速度撮影のキャプチャをすることを決定していた。制御を解放する塊として16mmキャメラを置くこと、数時間のムンバイの交通渋滞撮影のための充電、または電源を探すことは全く不可能だった。この街のすべての電源は、商業的に利用されているからだ。ラッシュアワーが始まる時、数千の商人は、彼らのショップを渋滞の中に正しくセットアップするための機会として捉えている。これは、巨大なお客の大群を魅了する。この種の高い密度のショッピングの経験を楽しむらしい。朝、カメラを置く良い場所のように見える場所は、数時間後、人間の殺到と自転車によって溢れてしまうだろう。そして、渋滞それ自身によってすでに押しのけられてしまったなら、私はその地域によって悩まされるだろうに。その撮影の許可をお願いすること、そして、私から余分にチップを取ろうとすること。フィルム上でのこの狂った渋滞をキャプチャーすることの無限の試みの失敗の後、私は、戦略を変えることを決定し、スポーツバッグの中に、私のキャメラを隠し始めた。私のバッグを置く、理想的な場所を探していた特別な日:一日中交差する、ものすごい交通と忙しい鉄道連絡駅。カメラをセットした数分後に、私は数メートル先にいる二人の男に見張られていることに気付いた。私のバッグから外へ覗くレンズについて憤然として話している。どんな潜在的なトラブルも避けるために、彼らのいる向こう側へ移動した、そして何か問題があったかどうか尋ねた。問題があった。そしてその問題には名前があった:その問題は、「キャメラスレート」だった。

背景
私が、今までヒンディー映画を初めて借りて見てから今まで、字幕なしで全くドロップアウトしてしまっているVHSテープに魅了されていた。それは、音にも不具合がある使い古されたものだった。ポピュラーなインド映画の中の場所や、時間、ジャンルに、それがつじつまが合わないから興味を持ったのだ。マサラ フォーミュラ(Masala Formula)として知られるこのナラティブな形は、多様な映画ジャンルを一つのストーリーラインに一緒に一列に並べることによって、ロジックを超えて目を見張りどれよりも面白い。私は、この荒削りな、だけどエキサイティングなフィルム構造でいつも実験したいと思っていた。ムンバイへの旅行の間に、マサラ実験(a Masala experiment)のための十分な素材を得るために、たくさんの素材や、ファウンドフッテージ、アイデアが集積した。そこに異質なフィルムとビデオの断片がスクリーンに一緒に構成されるということを実現するまでに、最終的に15年かかった。私の過去のフィルムでは、私は、ムンバイの地域に根付いた技術者とフィルムラボで、16mm35mmフィルムで作品を作っていた。当時、この新しいプロジェクトのために、それらでもう一度作品を作ることを決心した。しかし、私たちがそれを始めた後すぐに、私は彼らのほとんどが廃業する事態を目撃してしまった。彼らのドアは一生閉まったままであり、さらに悪いことには、電話のベルは鳴り続けるが、それを誰も取ろうとしないことだ。どうやら、私は、最後のお客になったようだった。映画産業のデジタル化はついにムンバイにも達した。そして、この厳しい乗っ取りのクライマックスに、私は両方のメディアが平和的に共存するハイブリッドな映画を作ることを決心した。私が全ての種類のアナログとデジタルフォーマットを組み合わせてから、私は私のマサラエクスペリメント(Masala experiment)のコンセプトを拡張した。:アナログとデジタルのイメージが共存して、35mmとデジタルプロジェクターから投影されるだろう。そして、最終的に二つの光の錐体がスクリーンの上に融合するだろうに。

作家:ベアンド・ルッツェラー(Bernd Lützeler)
1967年デュッセルドルフ生まれ。
ベアンド・ルッツェラーは、ベルリンとムンバイを拠点に制作活動を行っている、フィルムメーカー/アーティスト。彼の制作の中で、彼は、構造と知覚に関係するムービングイメージの制作と提示の技術を模索している。ループ、ファウンドフッテージ、DIYの技術は、彼の映画とエクスパンデッドシネマに不可欠な部分である。ムンバイへの旅行は、都市のコンテキストを踏まえて、人気のあるインドシネマやテレビの美学を調査するという視点から、彼の作品に強い衝撃を与えている。これまで作品は、世界中の会場、フェスティバル、それはポンピドューセンター、ベルリン国際映画祭、ロッテルダム映画祭、サンフランシスコシネマテーク、アヴァンギャルドな他様々な場所で、上映されてきた。ベアンドは、アーティストが運営するLaborBerlinのメンバーでもある。

作品6:「Wishing Well
今回上映される短編映画「Wishing Well(13min)は、ベルリン映画祭の短編部門で2018年に上映されたフリッカー映画。流れるような風景とカラフルな色彩は、時間の解体を引き起こす。フリッカー手法は、動きそのものの超越した主体性を浮かび上がらせる。森の気の流れは、誰かとの再会を催す、それは見る人を危ない世界へと連れ込む。

作家: シルビア・シェーデルバウアー=Sylvia Schedelbauer
東京生まれ。1993年からベルリンをベースに活動を始める。ベルリン芸術大学卒業。 彼女の映像作品は、パーソナルでナラティブな物語を扱う。彼女がどこかで発見したアーカイブ・フィルムのフッテージの操作で製作される作品は、アナログフィルムの持つ力と共に、人間の精神へ直接的に訴えかける。これまで彼女の作品は、ベルリン映画祭、トロント国際映画祭、オーバーハウゼン映画祭、ロンドン映画祭、ニューヨーク映画祭、ロバートフラハティー国際映画セミナー、スタンブラッケージシンポジウムなどで上映されてきた。ベスト”エクスペリメンタルフィルムとして、ビルドクンスト賞、ドイツ映画批評賞、ガスヴァンサント賞を受賞。また、2019年から、シェーデルバウアーは、ハーバード大学のthe Radcliffe研究施設での特別研究員を務める。

作品7a tiny place that is hard to touch (触れがたき小さな場所)
東京, 竪川の顔のないアパートで、アメリカ人の女性は、日本人の減少する出生率についてのインタビューを翻訳するために日本人女性を雇う。

アメリカ人女性は、日本の彼女が知っている知識に出しゃばる:
日本人女性は批評的な距離に立って、自分自信で作りだした「過剰」行為から苦しむ。彼女たちは、彼女たちのストーリーが、サイエンスフィクションの領域にハイジャックされるところで、愛や欲望の中に一緒に、あつれきを生じさせ、戦い、衝突する。翻訳者は、自身の消滅の認識に感染してしまった世界から、物語と共に彼らの仕事の開催を妨害する。この付近はすでに、荒廃されていることで知られていた。アメリカの爆弾によって194539日の夜に壊滅させられていたのだ。

三番目の主人公は、竪川自信だ。翻訳者のアパートを過ぎて走る高く持ち上げられた幹線道路によって覆われた用水路は、付近にその名前を知らせる。歪んだ青、緑、ピカピカ光る黒のパターンが、コンクリートワールドへ反射すること、竪川は、鳥や靴、コンドーム、ビニール袋、花、大きな魚、小さな魚、死、ライフ、の変化する行進を輸送するのだ。

作家:
シェリー・シルバー(Shelly Silver)
1957年ニューヨーク生まれ。コーネル大学(Cornell University)で、歴史とコンセプチュアルアートを勉強した。写真家としてキャリアをスタートし、書籍制作に移行。それから、ムービングイメージに落ち着いた。卒業後、広範囲に渡った映画とビデオの編集の仕事をした。商業映画とテレビの彼女の経験は、彼女の初期のコンセプチュアルアートと構造主義の絡み合いと同様に、映画とテレビの文法の形式的な曲がりを通して、世界について彼女に話させる。