2019年7月16日火曜日

これが今一番面白い

アートなんかよりも、映画なんかよりも、
今は、これが一番面白い
自分のこと含めて、この日本のこと考えて、政治を見たい
マジで
それがなければ、
アートも映画もありえないぜ。



2019年6月23日日曜日

M

最近帰ってきて、まだ一年経ってないんだけど、

目がどんどん覚めてきて、日本社会にちゃんと馴染もうとする自分がいて、

どんどんどんどん、見えない空気を読むし、感じる、自分を見つけ始めた、

コンビニを出るときに、向かい側から来た男性が気を使っている瞬間や、

電車に乗って、なるべく体が当たらないようにする瞬間

いろんなことを繊細に思い出してきた

そして、自分が今立っている状況が、0か-1かぐらいな気がしてきた

我慢をする時間が必要のようだ

そして、我慢ていうか、何が重要なのか、思い出して!自分に言ってみる







2019年6月16日日曜日

最近、ちょっと興味を持ったことがある

最近、ちょっと興味を持ったことがあるが、仕事が徐々に忙しくなりそうで、
それはできそうもない

とりあえずお金を貯めないと、

帰国して、そろそろ約一年が経ちそうであるが、

どうやら、そう簡単に死ぬ気配はなく、

落ち着こうと思っていた我が人生だが、また別なことを考えはじめたついこのごろ、

それは、ナラティブでない映像だっていいじゃん、という、

自由なものを作りたいなとまた、思い始めた

周期があるんだよな




2019年5月25日土曜日

Avid Film Grains Davinci

Avidを開いて、使えるようになろうと見ていたわけですが、
やっぱりこれはプロ用の機材だなと思った

バーベルスベルクの時も、映画学校の編集学科でAvidしか使っちゃダメだった。

そして、DavinciやAvidの中で、
Film Grains というエフェクトを発見して、このエフェクトが、映画の最終段階で、Lookを作るために使われているものであることを考えた時に初めて、
牧野 貴さんのやっている表現の意味がわかったような気がした。

filmgrainは、撮影とポスプロを詰めて行った時に出てくるエフェクトの一つで、映画のlookというか質を作る時に必要なものだ。だから、マニアックすぎて、技術者(撮影/編集)をやっている人にしか、わからない。だから、彼の作品は映像好きにしかわからないようなところがある、そして昔ながらの映画産業を今でもやり続けるヨーロッパやアメリカで受けているのではないか、と。日本での一般受けはなんにしろ厳しいと思うけど。

そんなことを考えていたら、アートスクールで、こういう映像表現のプロフェッショナルの技術講座をやった方がいいと思った。かなりクオリティーの高い映像表現が現代アートの世界で流通している今日、こういう映像の技術をアーティストがただ知っているだけで、自分の表現の幅がだいぶ変わってくる。

何を言っているかって、Premiereなんかで読み込みで出てくるmov-fileやproressとかってファイルがあって、それは誰でも使えるファイルだと思うけど、

Avidを開くとわかるように、
Raw撮影をして、読み込みの際に、どんなカメラを使ったかそこで細かく読み込みさえ変わってくる、その後に、Lutをかけてどういう風にカラーグレーディングしていくか、どういうlookを作っていくかの方向性を考えていく、それが映像の質を高くするように思う。

撮影カメラも、SonyのNXらへんの中級機だけじゃなくて、
(テレビはSonyNXやゴープロなんかの素人用だけれど)
例えば、
映画のプロと変わらないARRIカメラ、SONY FS7, FS5, RED, Canon c300, c100あたりが使用できるような状況にいることで、質の向上につながってくると思う。
(是枝さんの「万引き家族」でARRIの35mmフィルムカメラを使っていることからわかるように)
ハリウッドやヨーロッパの映画業界と同レベル の機材を、武蔵美の3人ぐらいの学生の年間の学費を足せば買えるのだから、是非日本のアートスクールは買ってもらいたい、

これは機材の話で、
中身とはあまり関係がないけれども、関係がある、
これで、中身の内容が良いとsuperなことになってくると思うんだよね。
だから、僕はSony FS7 やAlexaMiniなんかでドキュメンタリーとか撮りたいと思っている。

それがやれたら楽しそうだ







2019年5月22日水曜日

White Rabbit

 Daryl WeinのWhite Rabbitを見た。


めっちゃハートフルな映画だった
等身大のパフォーマンスアーティストの韓国人のソフィーが主役
彼女は、街で偶然出会ったfuckingむかつくガーナ出身の黒人女性ヴィクトリアに淡い友達と恋の間の感情を持つようになる
路上では、自ら韓国人であることからその韓国人という存在について政治的に投げかける声明と言ったらいいのか、声を張り上げるパフォーマンスを行っている
彼女のピュアなうちからでてくる声と感情はまっすぐに出てきて、それが直接見る方に伝わる
ピュアっていうか、泣きたい時泣いて、クソ野郎と言いたい時、言って、そんな素直な彼女はとっても明るく、楽しい性格で、この映画を見ていて僕は彼女のように素直にいたいと思ってしまった
アメリカ人的な物事をはっきり言う性質もあると思うけれど、

僕もはっきりと物事を素直に瞬時に言えるようにできるだけしていきたい
なんて、

いや、楽しくなる映画だった
考えてみたら、アメリカ映画でこういう風にアジア人女性、中国人じゃなくて韓国人が主役の映画で、こんなにフレッシュに見れたものは今までなかったような気がした
こういうのがこれからどんどん出てきそうな予感。。
昔はアメリカで撮られた映画にアジア人出てると不自然な感覚があったんだけど