Bilder denken und Naturか・・・、
なんか久しぶりにドイツ語で映画の話を聞いていたら、全く違う思考で作ったっていいじゃない!!!
と少し自分に戻ってきて、嬉しくなったので、よかった
https://www.arsenal-berlin.de/forum-forum-expanded/
エドウィンの映画見ました、
Postcards from the Zooを最後に見て以来の、「Vengeance Is Mine, All Others Pay Cash」の映画
ファティアキンがcoproducerの名前になってましたね
凄かった、、タイトルが変で、変なカンフーの説明ついてたりしてわけわからないですが、
インポの男性の恋がメインで、最初ユーモラスで笑えたが、ところがどんどん、インポが元で、結婚した妻がたった一回の浮気で、子供ができてしまう流れから突然、人生の渦の中に物語が進行し、そして、インポテンツになってしまったトラウマシーンへと遡り、それがまさかの女性が抑圧されていた社会状況を描き出しはじめて、ホラー映画と化していく。
もちろん、この夫婦が強い二人であるキャラ設定前提の話で、妻が、どんどんとその復讐へと手を染めていき、最後は、まさかの悲劇の結末で、唖然とした
ラストの方で、トラウマシーンで被害を受けたオバケの女性がでてくるシーンから、どんどんと復讐復讐という感じで、進行していったところで、わけがわからなくったが、それも含めてその裏テーマが見え隠れする感じで、たまらなく すげー作家映画見たな、という感じに落ちて 最後の曲もねっとりとして…
久しぶりにいい映画の時間でした
https://fukushimavoice.net/2022/08/4659/?fbclid=IwAR1t50KpYZ03XnzCNbTyQ0DM3dwqfZwCfB65MQd8XG3sDDPu_kmjH8vjF1Q
福島形相日記の上映があります。
ここ2年ぐらい、撮りためている素材の集積となるupdate版です。
一回しか上映がなく残念ですが、この作品は自分ではこれまでで一番良い・重みのある作品になっていると思います。
宜しくお願い致します。
自分にとって、窮屈に感じられるところがあるのは、・・・
と書いたが、
これは、思い返し考えてみたら、映画・映像制作では、あるフォームを作る必要があって、そのフォームが人のものを見ると窮屈だと思うのは当然のことで、
自分だってこれはこうではなければならない、自分の作品として成立しない、みたいなことがあって、
その、自分にとって作品を作品たらしめるための、判断基準を持っていることが作家であり、
そのフォームを作っていくことが作家であることを考えていた
これまでそのフォームを鍛え上げていくことばかり考えてきたんだと思う
そして今は、何だかちょっとストップしているが、
現場型に移行しているといったら良いのか、
それはコロナになってから一層、その現場感を感じる映像が自分にとって重要になってきた
できるだけ生ものを食いたいみたいな感じでしょうか