2021年2月28日日曜日

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』を見ました。

火のない所には煙は立たない という言葉は、少しネガティブな感じがするけれど、その逆の意味でポジティブに、この映画ができることの必然性を感じた この映画はできるべきしてできた映画なような気がした 見る価値があると思いました。

何か、逆のコトワザはあるだろうか、

 https://www.kotaichi.com/

話が紡がれていく、その紡ぎ方が、すごくピュアで、若い人たちの気持ちや思い・その他の, この場所で生きた人々の生が伝わってきた

すごい映画だと思った

泣いてしまったし


その彼ら・若い人々の誠実で真っ直ぐな思いに、心を打たれた

すごくありがたい映画だと思った


いい映画だと思った

そして、ここでドキュメンタリーという意味を超えて、ドキュメントそれ自体が持つ・リアルな感覚がフィクションなんていう概念を軽々と超えてしまったという風に

我々人間社会に与えたその出来事 2011年のそのことが

本当にただ大きく、そして人間はどう生きるのか、

という絆の問いを持って迫ってくる、その意味が素晴らしく響きました

胸に素晴らしく響いた

いい映画でした。



2021年2月22日月曜日

シャドー・ディール

シャドー・ディールみました

こういう映画の見方が実は僕はあんまりわかっていない

アメリカのドキュメンタリーで、ディスカッション型で論文のようなものがあって、話を積み上げて説得するような映画構造になっている

例えば、「主戦場」もあるテーマを軸に、社会的なグレーの部分をクリアにしていくような爽快なものもあるが、

この作品は、爽快では合ったが、ある意味で、ちょっとワイドショー的に、都市伝説的に、このネタをいじっていくような感じで、

面白かったけれど、真実味にかける 

そして一生クリアになりそうもないような問題

アーカイブのフッテージの許可はどうしてるんだろうなこれ、

この量の政治発言の権利元をテレビ局からクリアするって、会社あっても、ほぼほぼクリアにならないと思うんだけど、


しかし、映画を見終わった後の渋谷の街は暗いなと思った
ただ、通り沿いの宣伝映像の声だけが響いて、街は真っ暗だ

僕はでも活気ある夜の渋谷よりも、このゴーストタウン化、というか、魚が静かに夜泳いでいるような感覚が好きだけれど

コロナは早く終わって欲しいと思う







2021年2月14日日曜日

アジアンフィルムアーカイブから委託された映画

この二本のプログラムを見てきました

2021年2月14日(日)

https://www.yebizo.com/jp/program/detail/2021-04-10

https://www.yebizo.com/jp/program/detail/2021-04-09


面白くて印象に残った映画:

イラニ・バッグ:

 https://diff.co.in/film/irani-bag/

カバンをモチーフにして、相手とカバンを共有する, 分かち合う、触る・触らない

ということが

コロナのこの状況をメタフォリックに表現していて、イラン人の目の付け所というか、この作家の作品の繊細さを感じた

イランの文化って、男性を女性が守るような文化で、それが今でも男性中心主義的なイランというか中東の問題であるかもしれないが、カバンを奪い合うというその男女の行為を見ていたら、ただカバンを奪い合っているだけなのに、様々な関係性を想像してしまって、それがすごく感動的だった ただの「実験的な作品」と括弧付されてしまうようなものではなく、ある物語というか、そういうものを感じた


気になった、というかあとで、

Raya Martinの「Spirit Film」

https://www.sgiff.com/films/spirit-film/

動物が出ているところでのモノローグと内容が合っていなかった、

あとで聞いたら、フィリピンの人は、猿や動物のように低俗だと扱われることを意味するのだ、と言われてハッとしてしまった



ところで、福島・宮城は、昨日の地震で大丈夫だったのか!!?

と連絡を実家や地元の友達と連絡をとっている

またこのような10年前の余震??が来そうな

余震でない可能性も?


日々を生きないと 篭りながら

う〜ん、この状況で、地震が起きて災害起きたら、本当にやばいです


そして、原発再稼働しているところは、本当に馬鹿なんじゃないか、と

思ってしまって、即刻やめて欲しい






2021年2月7日日曜日

最近

 そういえば、最近思っていることは、

というか、

やっていることは、

僕はテレビ業界ではもう働いていない

本当に一瞬あちら側での、プロダクションワークみたいなものを見たが、

今、落ち着いて、あの仕事のことを考えると、

一回やってみたかったんだなと思っていて

そして、あの仕事は表現とは全く関係ないことだとはっきりと思っていて、

今、悩みなくわかったような気がする

あれは、ただ某放送局の意向に沿って、ある形にはめて、情報を伝えている、

というだけで、

自分が求めている作家主義の映像作品・アート作品・映画作品とは全く別なものであるようだ


それを身を持って知れてよかったのだが、失ったものもあるような気がして、

それを別な形で、これからは、取り戻そうと、もがいていきたいと思う


それで、あそこで働いている人たちは面白い人もたくさんいると思うけれど、

単純に自分が求めているものとは違くて、

仕事で、お金を稼ぐ時に、それが割と面白いからやれてしまう感覚があるかもしれないが、

みんな耐えて、自分の好きなことをやれば、もっと映像表現の世界も変わっていくのではないか、と思ったりするのだけれど、

プロダクションにお勤めの方は、サラリーマン思考・一般的にお金を稼いで生きるという思考、をベースとしていて、

それを考えると、自分の映像作品への考え方のベースとなる考え方は、やっぱりファインアートなんだな、と全くもって、戻ってしまった


30代前半〜つい最近まで、映像でお金を稼ぐことを考えていたが、それをやめることにしたら、すごく楽になったような気がしている






ドラマガール

ドラマガール 面白い名前ですね

 ・https://iffr.com/en/2020/films/drama-girl

・https://halal.amsterdam/item/drama-girl/

エビス映像祭の上映プログラムの一遍見てきました


すごいオシャレ映画でした〜〜

僕の印象では、ヨーロッパの映画で、家族の関係性をテーマとして、ドキュメンタリーとフィクションの間での方法論を使った作品ってあんまり多くなさそうなイメージがあって、一方、日本では、家族間の関係性をテーマとした映画作品が多いイメージがあって、その意味で、自分にとっては、割とスタンダードな再現映画・カメラの裏側とカメラの前、みたいな要素を散りばめた映画で、すごく気心が知れているような感じを受けた。

劇場公開するような映画でもなく、このタイプの映画って、日本では絶対に作れない気がする。ドイツにいた時、日本で映画を撮ろうとしているドイツ人に会った時に、日本は本当にお金を出してくれるファンドや基金がないよね、と言われた

(←もちろん、ブロックバスター映画を作ろうとしている映画作家ではなく、割と実験的な作品を作ろうとしている作家から)

そして、今回のこの映画のような、タイプの作品を日本で資金集めをして、作るのはほぼ無理なんだろうな、と見た後に、思ったりした

一つ付け加えるとすれば、

ある意味で、ミランダジュライみたいな、オシャレさがこの映画にはあるな、と思った

コスチュームもオシャレだし、

撮影もボケがなく、べったりしたドキュメンタリー的な撮影で、

(それもコンセプトに入っているかもしれないが)

とにかくこのオシャレさを言うのは難しい


このオシャレさをやるのは、結構難しいと思う

それは別に服装だけの話でもなく、

この主人公の女性が持っている気質もそれに当てはまりそうな気がする


いろいろ考えると、これは、映画なんだけど、アート作品だな、

と思った


それがすごく不思議だった