2019年4月1日月曜日

漂うがごとくChơi Vơi

「漂うがごとくChơi Vơi」という映画を見た

この映画は、タクシー運転手とその男と付き合って約3ヶ月で結婚した女の話である。
タクシー運転手は、優しい男で母親からの子離れがあまりできていない。この嫁にきた女性は、なぜこのタクシー運転手と結婚するlことになったのか、どこにもこの女性と男の愛を感じる瞬間がこの映画の中にはない。Sexレスで、いやそもそもそれすら存在していなかったようだ。途中に現れる”トー”という名の男は、モテモテで、すでに二人の女から想われているが、何もしない。彼は、突然この人妻をたびに誘う。そのたびについて行こうか揺れる彼女だったが、結果ついて行ってしまう。そこには、彼女のみならず謎のこの”トー”を想う女も一緒についてくるのだが、その彼女は、突然ある日の朝、旅先で死んでしまう。最終的には、この人妻は、この”トー”との淡い情事にはまっていくわけであるが、全くその場面は、に酔わされるだけで描かれることはない。タクシー運転手の存在は、性欲がない男で、存在が大変希薄である。一体監督は何を描きたかったのだろうか?この映画には、全くといっていいほどの強烈な主人公のキャラクターという個性や存在が欠けているのだ。最後に示されるある情事が終わった後に、自分の妻を自分のタクシーに載せている場面があるのだが、私の解釈では、彼はどうやら、この美しい女性に恋い焦がれるタクシー運転手でしかなく、彼は、それを実際手に入れたにもかかわらずどう自分のものにしていいのかわからない魂を持っていて、欲望の薄いタクシー運転手という人間にとどまり彼女を乗せて結果走るしかない、タクシー運転手という運命を持った人間でしかないのだ。なんて風変わりな映画なんだろう。


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