2019年4月14日日曜日

ドイツから帰ったこと

ドイツから帰ってきたこと

それは、いろんなことを考えたからなんだけれど、
外国に住んでいると、自分がこうして生きる意味を、普段よりもっと考えます
なぜ自分はここにいるんだろう
ここで何ができるんだろう
ドイツ社会の中で自分はちゃんと機能しているんだろうか
ドイツ社会の中で一体自分は外人として何をやったらいいんだろうか
そして何ができるんだろうか

そして制作した作品を考えてみても、自分の作品”らしき”ものを人に見せてみても
ドイツ人・のみならず他の人々にとってどうってことがないもので、
そんなしょぼいものをこれからも作っていく意味/意義があるのか、
と思った時、自分に力がないことも含めて、ここにいても仕方がないと思った

ドイツ語を話せたからって、コミュニケーションが取れたからって、それは本当の意味では、自分はコミュニケーションが取れていなかったと思う
それは、自分の中でどうしてもこの人たちにこれを伝えたいという”思い”がどんどん
失われていったからだった。多分これを思うのは、自分自身が、昔、押し付けがましいぐらいそういう思いを持っていたからだった
今は、そういう思いを取り戻そうというよりは、どうやったらちゃんと社会の中で生きていくことができるのか、社会の中で今自分は何ができるのか、それを考えるようになった。それは、ドイツで考えていたことと全く同じ。

「ドイツで何ができるのか、社会の一員になりたい。」
そのこと

じゃぁクリエィティビティーとは何だろう、
やっとそこの地平に立つことになったんじゃないだろうか。
それは、映像を使って、社会を批判していくものであり、社会とともに生きていくものである、好きなことで生きていくためである。

だから、その意味で、昔の社会をうがった形で見る見方ではなく、真っ向勝負で、行くしか方法はないってことだと思う。

親父が言っていた、「人のやらないことをやれ」というのは、ある意味では当たっているが、ある意味では間違っていると最近思う。それは、人のやらないことをやるということだけに終始していくという考え方には、根っこが存在していないから。

だから、私は、彼が、その空っぽのスーパーのビニール袋に空気を詰めてふわふわ浮いているようなものを、走って追いかけて、つかめないな、なんて言って、また追いかけるみたいなことをあの人がやっていたんじゃないかと想像している。

目の前の現実をしっかりと受け止めていくことしか今の自分にはできない。
そこから目をそらしたくない。それが心地よく、だから夜もよく眠れるのだ。






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