2019年4月28日日曜日

8mm

今日イメージフォーラムの上映会に行ったら、、
またまたピュアな何かに出会い、そして作品制作の意欲が湧いてきた。

何かできそうだ。


2019年4月27日土曜日

ゲーテ主催の映画を見に

アル=ベイク監督の2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された「サーミア」
を見に行った、
いや、マジで僕原点に戻らないと、いけないと思った

ピュア、

このことである、

やりたいことをやる

撮りたいものを撮る

感じたことを話す


2019年4月25日木曜日

ベルリンか

いや、この揺れ動く何か、って
やはり、うちの親が離婚してから、信じられるものを失ったような
そしてすでに失っていたものを幻想のように信じていたような何かがある

ベルリンを夢見た

あと数年後にまた行くことがもしかしたらあるかもしれない。
今は、目先のGWを考えながら

そして、GWは瞑想だと思いつつも、
やはり日本人と話すことに徹していこう
そうじゃないと穴蔵からでてきた意味がないぜ

そろそろおやすみで、韓国行こうか迷って、今日飛行機会社に連絡したら満席

韓国に替えて何ができるか、

ナイトクルージング見たい


2019年4月23日火曜日

・・・・

この前、
いや、この仕事やっていて、文科省で、ただの編集?
かっこつけないで言うと、全く意味ない、この仕事。

とか、最近また思っている。

これ、全て東大生とか、文科省という場所に入った人に言い分でしかない、

真実をわかってない、ただの上の人からの告知に携わっているにしかすぎない

働き方改革を推進していきましょう〜!
なって言って、これを教員ができるわけがないやん、というところで、
なんと、表面的な人々だろう。
下々の人々のことなんて全く考えてない、
ただのエリートの言葉と綺麗事でしかない。
でも、仕事だからやるしかないですね。




2019年4月21日日曜日

さて

さて、今興味を持っていることは、高齢化社会というこの日本で、お年寄りの看取り

一人で死ぬこと

ここに興味があります。

ちょっとリサーチ中です

想田監督の「Peace」もそれについての映画だったか、

このネタからそれて行くかもしれないが、
調べる必要があると思う

自分の親のことも考えるからである

2019年4月14日日曜日

ドイツから帰ったこと

ドイツから帰ってきたこと

それは、いろんなことを考えたからなんだけれど、
外国に住んでいると、自分がこうして生きる意味を、普段よりもっと考えます
なぜ自分はここにいるんだろう
ここで何ができるんだろう
ドイツ社会の中で自分はちゃんと機能しているんだろうか
ドイツ社会の中で一体自分は外人として何をやったらいいんだろうか
そして何ができるんだろうか

そして制作した作品を考えてみても、自分の作品”らしき”ものを人に見せてみても
ドイツ人・のみならず他の人々にとってどうってことがないもので、
そんなしょぼいものをこれからも作っていく意味/意義があるのか、
と思った時、自分に力がないことも含めて、ここにいても仕方がないと思った

ドイツ語を話せたからって、コミュニケーションが取れたからって、それは本当の意味では、自分はコミュニケーションが取れていなかったと思う
それは、自分の中でどうしてもこの人たちにこれを伝えたいという”思い”がどんどん
失われていったからだった。多分これを思うのは、自分自身が、昔、押し付けがましいぐらいそういう思いを持っていたからだった
今は、そういう思いを取り戻そうというよりは、どうやったらちゃんと社会の中で生きていくことができるのか、社会の中で今自分は何ができるのか、それを考えるようになった。それは、ドイツで考えていたことと全く同じ。

「ドイツで何ができるのか、社会の一員になりたい。」
そのこと

じゃぁクリエィティビティーとは何だろう、
やっとそこの地平に立つことになったんじゃないだろうか。
それは、映像を使って、社会を批判していくものであり、社会とともに生きていくものである、好きなことで生きていくためである。

だから、その意味で、昔の社会をうがった形で見る見方ではなく、真っ向勝負で、行くしか方法はないってことだと思う。

親父が言っていた、「人のやらないことをやれ」というのは、ある意味では当たっているが、ある意味では間違っていると最近思う。それは、人のやらないことをやるということだけに終始していくという考え方には、根っこが存在していないから。

だから、私は、彼が、その空っぽのスーパーのビニール袋に空気を詰めてふわふわ浮いているようなものを、走って追いかけて、つかめないな、なんて言って、また追いかけるみたいなことをあの人がやっていたんじゃないかと想像している。

目の前の現実をしっかりと受け止めていくことしか今の自分にはできない。
そこから目をそらしたくない。それが心地よく、だから夜もよく眠れるのだ。






マイルストーンズ

ロバートクレーマー「マイルストーンズ」見ました

もう何がなんだかわからない、迷宮状態で、モザイクとは確かに言ったものだ

ただ、その時代に生きた人々の”ある思い”なるものが映画の中に確かに映し出されていたような気がするが、しかし、それはクレーマーの仕事のやり方なのか、すごくゆっくりとした物語られ方で進んで行く シーンとシーン 複数の物語が存在する

すごく直接的に見るものを単純なストーリーへと導いて行くわけだが、その単純さゆえに、プリミティブな映画の発生や極めてドキュメンタリー的な生ものを、見るものは直接食べることになる 

私は、出産シーンで泣いてしまった 女性が、出産する時が一番綺麗だというのを聞いたことがあるが、そのシーンは、美しすぎて、みんなハッピーで、嬉しくて、そこに感動して泣いたのだ。幸せで泣いたことなんて考えてみればあまりなかった

素晴らしい映画だった

もうちょっと大人になったらDVDを購入することにします


2019年4月11日木曜日

死ぬか

メカスの映画をみていた
友人の人の死の数日を撮ったものだった

そういえば、ふと最近買って読んだ芥川賞をとった小説でも葬式のことが描かれていた

メカスは12月24日生まれだ

伊丹十三のヨーロッパ放浪のエッセイを立ち読みしたら、
彼のデビュー作は、
「お葬式」という映画だったと書かれていた?

いや、自分が死ぬときに、自分のものがちゃんと残されているのだろうか

作品は重要のようだ

2019年4月8日月曜日

文科省で現在

就職しまして、
現在文科省で、大臣会見ニュース送出、働き方改革映像作成(撮影/編集)仕事など、関わっております。

番組制作には、現在はまったくです、
たくさんの東大生の中に混じって、硬い仕事やな〜〜

いやこれからです、人生、
もっと何かやりたい

2019年4月6日土曜日

体感する映画

この映画、波と海を体感する映画 自然がテーマになっている
全然何も起きないけれど、どこか遠くの自分が知らない場所へ連れ出されてしまったような感覚に陥る映画だった。
ガス・ヴァン・サントの「GERRY」を思い出したが、
あのサスペンスはない。
詩的で私的で実験映画のようだった
これってロードムービーって言えるんじゃないだろうか
忘れていたこの気持ち、
どこかに行きたい、そして
そういえば、ロードムービーを作りたいと思っていたっけ
私。
見て欲しいです、この映画


2019年4月4日木曜日

例えば

例えば、誰かにノスタルジックだと言われようが、
誰かに幼い感情だと言われようが、
何かを美しいと感じたり、
しみるような瞬間を突然感じることってあると思う
そういうのが好きなんだろうと思う
それを例えば、ドイツ語ではSchönとドイツ人は言うかもしれないし、
自分の作品のどこかにどこかそういう部分を持っていた

この映画はそんな映画なようなきがする
Schön/いいね
みたいな

これをわからないと言われて
でもわからないかな、
だからやるか
って
そういうことかもしれないっす
山に登ろう

極私的であり続けなければならない

2019年4月2日火曜日

い/ま

い/ま

また いつか近いうちに何にも縛られない、 
仕事とは全く関係ない、何か自分のい/ま欲求なる何かを作品にしたいです

今年は35年の間で多分、一番大きい瞬間があったと思う、

それを

何かしらの形で、

伝わらないものを作りたい、

伝わるものは仕事でやっている



2019年4月1日月曜日

漂うがごとくChơi Vơi

「漂うがごとくChơi Vơi」という映画を見た

この映画は、タクシー運転手とその男と付き合って約3ヶ月で結婚した女の話である。
タクシー運転手は、優しい男で母親からの子離れがあまりできていない。この嫁にきた女性は、なぜこのタクシー運転手と結婚するlことになったのか、どこにもこの女性と男の愛を感じる瞬間がこの映画の中にはない。Sexレスで、いやそもそもそれすら存在していなかったようだ。途中に現れる”トー”という名の男は、モテモテで、すでに二人の女から想われているが、何もしない。彼は、突然この人妻をたびに誘う。そのたびについて行こうか揺れる彼女だったが、結果ついて行ってしまう。そこには、彼女のみならず謎のこの”トー”を想う女も一緒についてくるのだが、その彼女は、突然ある日の朝、旅先で死んでしまう。最終的には、この人妻は、この”トー”との淡い情事にはまっていくわけであるが、全くその場面は、に酔わされるだけで描かれることはない。タクシー運転手の存在は、性欲がない男で、存在が大変希薄である。一体監督は何を描きたかったのだろうか?この映画には、全くといっていいほどの強烈な主人公のキャラクターという個性や存在が欠けているのだ。最後に示されるある情事が終わった後に、自分の妻を自分のタクシーに載せている場面があるのだが、私の解釈では、彼はどうやら、この美しい女性に恋い焦がれるタクシー運転手でしかなく、彼は、それを実際手に入れたにもかかわらずどう自分のものにしていいのかわからない魂を持っていて、欲望の薄いタクシー運転手という人間にとどまり彼女を乗せて結果走るしかない、タクシー運転手という運命を持った人間でしかないのだ。なんて風変わりな映画なんだろう。