2022年2月6日日曜日

『ダムネーション/天罰』(1988年/121分/モノクロ)

『ダムネーション/天罰』(1988年/121分/モノクロ)

見ました。

ベルリンのアルセナールで「Werckmeister harmóniák」を見て、ニーチェの馬が日本で公開された年に見に行って、なので、ベラ・ターの3本目。

ベラ・ター と呼んでいるのは、ベルリン芸術大学の映像学科に通っている時に、イタリア人のクラスメートが、ベラ・ターベラ・ターベラ・ターと言うので、何言っているのかと思って、調べたら、日本語名でタル・ベーラで、あ!と思ったため、印象深く刻印されている

ダムネーション 素晴らしかった、雨と貨物を運ぶ風景とタバコとバー、酒場と悪と女と浮気?が、交錯していく、現代の再現でも見れない、東ヨーロッパの癖の強い、粗野な人間達の荒々しい映画。

素敵でした

現代で、ハンガリーに行っても絶対に体験できない また行きたいな〜〜ヨーロッパのバーというか酒場に

ウクライナのバーもあんな感じだったな いやベルリンのクロイツベルクにあるバーも賑わっていた ただアコーディオンはどこのバーに行ってもなかったことを考えると、そういうアコーディオン弾きがいる酒場に行ってみたい〜〜

映画の話から逸れてしまったが、サタンタンゴ見たいけど、今週は子守で見れないので、

アウトサイダー

を次回は見に行きたいです!!

わぁ〜〜、現在の自分のサラリーマン的な状況だと、こういう映画を見れることが本当にたのしみになるのですね



2022年1月15日土曜日

小川紳介監督作品「三里塚辺田部落」(1973)

 小川紳介監督作品「三里塚辺田部落」(1973)

見ました。


そういう作品ではなく、愛らしく楽しい作品でした。

人懐っこい登場人物がたまらず

本当に大好きになってしまった。


本当にいい作品だ。


別な小川プロ作品も見ています。


1月、正直、全然モチベーション上がりません!!!!

何だろう

こんな感じだったかな、

いいことないなぁ


2月にまた撮影に行きます。

昨年の2月10日は越後妻有周りの作品制作で、津南町で熊鍋を食べた日に、

今年は、福島双葉町に行きます


子供は泣きまくるがすごく可愛いです

たまに、憎らしい時がありますが、親なので、

全て可愛いです


撮影以外で何かできることあるでしょうか。

過去作、ネットで見せる とか?でしょうか





2022年1月2日日曜日

新年の抱負

 この世界の作品作りをしたい人達の精神とそのほかの人たちの精神が、乖離していると感じることが多く、それ以外の人々に会うことが今の自分の生活圏で95パーセントで、飲み込まれていることがほとんどで、そこには失望しているが、安心している面もある。

その作品作りを思考する、という職業につける人々は、幸福だろうな、と想像し、作家なら、誰もが当たり前に思うことかもしれないが、

今年は、そうなることを期待、したい


・今年はExperimental Film Culture また開催します。

・そして、自作の撮影も続けていきます。

・映像に関する文章を何かしら書きたいと思っているが、何を書こうか迷う

テーマは、これだろうか、

福島 原発 消失 風景 作家映像


・あとは、越後妻有、今年は開催するそうなので、昨年発表予定だった作品を出そうかと思っているが、まだ未完なので、それを完成させたい。


・その他、子供の健康を祈る

・その他、アートっぽい作品制作もしてみたい。今わりとドキュメンタリー思考強い作品ばかり制作しているので、

そうだな、フィクションをもっと強めに押し出した、もっとぶらした形の作品?

など   

キリスト教がある地域について、リサーチしてみたい 話がでかすぎるか

などなど




2021年12月27日月曜日

最近 やらないといけないことをそれなりにこなして

それなりにチームワークで仕事して っていうなんてことないことを

当たり前にこなす日々を送っていて、

物事を面倒くさくする 以前のような自分ではいられないことに気付いて

そのどうしようもなく 自分が自分でありたい と願い

それをどうにかして保つために

絵を描き始めた 別にこれは人に見せるものではなく

自分の気持ちを落ち着けるためのもので、

自分が自分であることを保つための 一つの方法であるだけだ


今年は色々あった というか 大きなことがあった

子供が生まれたことだ 家族ができたことだ


ただ表現が止まっているな、、、と

来年は、自作をどこかで発表したい


実は僕は、東京国立美術館に収蔵されている日本の1900年代前半の絵に感動することがあると最近、というか、ベルリンから帰ってきて気付かされることがあった

力強く、真面目で、一途な印象を持っていて、好きなのだ。

こういうのを書くと、自分が保守的な人間なのだ、と気付き、嫌になる

リベラルな思想を持った人間になりたい、といつも望んでいるのだが、自分は、そこには到底たどり着くことはできなさそうだ


とにかく、来年は、東京国立美術館の展示にまた行きたいと思う






2021年12月25日土曜日

 ゴミ・袋・塵・糞


色々なレイヤーが頭の中を交錯していく〜〜


一体何なんだ

2021年12月15日水曜日

不確定性

 最近、何かを感じることが足りないな、とすごく感じる


家族ができて、子育てもあり色々と大変なわけなんだけど

それは置いといて、

自分の作品制作で何か足りないものがありそうな気がしている

それは、ドキュメンタリー的な形式・様式について考えるのではなく、


「ある不確定なもの」に立ち向かう姿勢が足りない


ということだ。

ただ、この姿勢に体勢、変更するには、自分には、

何か、女装するとか、それぐらいの転換がないと

できない気がする


どこに行けば、その 体勢 を作ことができるか、

コロナで、難しい部分もあるが〜〜〜


なんて、中学ぐらいから、その体勢だったのに、30代後半になってから、まともに

なっちゃったんだな、

と社会に揉まれたな〜〜


アートか・・・・




2021年12月4日土曜日

斎藤玲児作品について

 彼の作品は、不思議だ

袴田さんの文章は不思議だった


わかりやすさを求められる世の中で、わからない・わかる  いや、見たものを何何と認識させる のような意味で

ハッキリとわかるとは言いきれないものが流れていく

番組制作でも、ドイツでの映画の、授業の中でも、ハッキリ何を撮ったのか、何を見たのか、視覚的に伝達したものを求められる、

その意味で彼はそんなことに画像を伝えるということに執着しているとは到底呼べない表現をしている

それが、自分の視覚的な認識をどうその映像なりキャンバス内に定着させるか、ということがテーマに、もしかしたらなっている?

のではないかと思い、

その抽象度が

ギャラリーや美術館で見る具体性からかなりかけ離れたものであるという意味でも、

極めて特異な作品になってき始めた?

のではないか、と思うようになってきた