東京藝術大学 映像研究科 映像メディア学専攻(博士後期課程)に行くことになりました
4月から気持ちを新たに 博士号取得を目指して
まさかのこの年齢になっての学生です。
色々まだまだやりたいことがありますので、どうにか続けていきたいです。
佐藤 厚志さんの小説「 荒地の家族」をはじめに読み切りました。
空き時間で読んだけど4日ぐらいで読み切り、ました。リアルな小説で、男っぽい肉体的な感覚が伝わってきて、重く、楽しかったです。この小説は、ドキュメンタリー見ているみたいでしたが、やはり映像表現と小説は全く違う感覚を味わえるもので、しかしどこか近いところがある、小説の場合だとイメージがないから、頭の中の暗闇の中で、勝手な想像の映像が立ち上がっていて、フィルムの上の像としてぼやっと浮かぶ感じで、それが進んでいく感じだと改めて実感しながら読んでいました。
心の声を3人称で神様が、伝える小説
またこの小説が面白かった特徴的な書き方があって、それは繰り返し同じことを書く ということでした。これまでそういう小説はなかったような気がする
読み進めていくと、同じ内容が出てくるので、あれ、間違って戻ってしまったかと思ったのですが、次の瞬間同じ内容でももっとその内容を深めた形で、なぜそうなったのか、そのいきさつが、詳しく描かれる これは、すごくなんというか、泥臭い作業で、ねっとりしているが、とても好印象に感じました。記憶というのもそうかな、と思っています。一つのことを何度も何度も違う角度から思い出して、そのことについていろいろなことを考えていく。 一つにおさまらないのが記憶だな と思っています。それがこの小説では達成できている、というか、それをやろうとしているかわかりませんが
あとは今回は、初めて、この小説を芥川賞に選んだ選定委員の評価を読みました。それも面白く、美術作品の評価の文章みたいで、そう変わらないような気がしたが、やはりナラティブな書きぶりについてなど テクニカルな話もあり 面白かったし、
最後に、佐藤 厚志さんの自身の現在の状況と生い立ち、そして、それと小説へ向かう意識や身の回りと小説の関係性についてのインタビューが書かれていて、それも興味深く拝読。
次は、もう一つの受賞作品「この世の喜びよ」を読みます。
1月31日を持って、KAYOKOYUKIギャラリーから抜けました。
仲が悪いとかそういうことでは決してなく、向かっていく方向が違うので、抜けたというのが正しいと思います。
鈴木の思考する作品は、上映スタイルで、映像体験をすることが前提にあったりする ので、ギャラリーで作品を売るなどの所有についてが前提にあるものとは違うように思うからですが、
体験を前提として、ギャラリーで作品を展示するのは、これまで通り ある と思っています。
もちろん、作品を買ってくださるなら、是非 ですし。
また、体験を前提とした2面スクリーン以上でのインスタレーションもそのうちやってみたいと思っています。
そのため、是非また上映も展示も行っていきたいと思っています。
引き続き何卒宜しくお願いいたします。