大事なことの上にこの大事なことがあって、そしてさらにこれが大事で
なんて、大事ランキングを考えていたりするのが、
一瞬の出来事や
目の前の状況で、その大事なことが目まぐるしく変わっていく
大事なことを理性的に考えていき、整理したりして、
そういうことをやっている自分が何か
とても人間臭く、
アーティストはそういう生き物ではないんじゃないか。
なんてことを考えたりしてみて、
自分がやっていることは、もうアートではなさそうな気になっていた。
ドキュメンタリーの世界に足を突っ込んで、
そしたら、ズボズボと、ドキュメンタリーや映像素材なんていうニッチな方向へと風と腕力で流されているようだ。
そんな一眼レフを触るのが好きなお父さんみたいに自分がなっていっているようで、
アートからは、遠くなっているなとふと気付くのでした。
今回の芥川賞受賞作品、石沢麻依著『貝に続く場所にて』
を読んでいる
高尚なものだ。と思った。
自分が震災|福島|ドイツに住んでいる自分
みたいなもの(鈴木は、2013年〜2018年までドイツに住んでいた)を重ねて
読みたくて読んでいる、
あのドイツの重厚な町にただひっそりと日本人が住んでいて、心細い感覚が自分にはあって、
芸術なんかよりも、
心細い自分の立場の方を心配する自分を日々感じていたな、あの頃、
夢遊病患者のように、そして、夢のように、夜、自分から抜け出した自分は、自分を上から見て、自分を心配していた
そのことと、震災のことが重なっているような、
これは自分にとっての感覚なんだけど、
ある|重なる
と思った
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