2019年12月15日日曜日

was schreibt man eigentlich

was schreibt man eigentlich dachte ich daran.

Wenn ich ueber Dokumentationen denke und machen will, muss ich Geschichte journalistisch recherchieren, aber wenn ich eine Fiktion denke, muss ich vielleicht eine fiktionale Geschichte, die jemand mit Konversation schreibt, lesen.

Jetzt muss ich solche Literatur als ein Beispiel lesen anfangen.
Seit ich an Filmen denke, sammele ich oft Interviews aber keine bewegende Menschen, die gleichzeitig eine Aktion macht. Doch. Aber wenig.
Ich muss in meinen Film eine menschliche Aktion finden.
Das ist mein Thema schon immer seit einige Jahre seit ich Film studiere.


2019年12月14日土曜日

撮影部

この約二ヶ月というもの、実は、某企業の撮影部で修行していました

昔から映画の撮影を担当しているところらしく、少数精鋭で、みんな映画畑の人でびっくりでした

そのためめちゃくちゃ恐いし、そしてすごく職人気質の良い人たちです。

コンプライアンスがすごく厳しく、名前や写真も出してはいけないので、文章でのみ

大先輩の・・・さんが、黒澤明の「乱」の制作の際に足を踏んだとか、笑話で話をしたり、すごい話を聞かされています。でも、これは昔の話で、今は、もう映画はここ最近はやらない、ということらしいです、お金にならないから、ということみたいですね、残念

でも、そういう現場に、この短期間でも関われたことがとても嬉しく思います。

また来年からは別な行動をしていこうと思っています

そしてまたやはり作品制作をしていくことをちゃんとベースにしないといけないと思ったりして、それができる現場、職業をどうにかして見つけたい
と思っています

それにしても撮影部で働いたことは、本当に糧になりました 嬉しく思います。











2019年12月8日日曜日

A Leaf is the Sea is a Theater by JONATHAN SCHWARTZという作品

A Leaf is the Sea is a Theater

ディレクターJONATHAN SCHWARTZ

この作品、美しかった
https://www.facebook.com/watch/?v=670849040103352


情報
http://canyoncinema.com/2019/02/15/celebrating-jonathan-schwartz-2/





神様はいるだろうか

神様はいるだろうか、

どうやら、神様はいるかどうか、知らないが、運命とかそういうものはあるのかもしれない

なんてことを思い、その運命が、自分をより孤独にさせるということがあるのかもしれない、

そして、芸術、が自分が出会ってしまった、運命そのものって可能性もある


2019年12月2日月曜日

映画「ジョーカー」見ました

映画「ジョーカー」見ました

久しぶりのブロックバスター映画をまさか見ることになるなんて、

母親と息子の関係、は自分が男である以上は、いろいろハッとさせられるものがあり、

これはタクシードライバーという作品が背景にある、という話もあったけれど、
確かにその通りでもあった。

私が、やはり今回度肝を抜かれたのは、最後に、主役のアーサーを呼んでくれた司会のコメディアンを彼が、ぶっ殺すくことになったこと、
あそこで、さらにもし、アーサーが自殺していたら、さらにとんでもない、ホラー/恐怖映画になったであろうが、
演出はそうはせずに、彼は、その場所で捕まり、途中、自分がこの社会に蔓延するヒエラルキー社会に氾濫して暴徒化した民衆に、警察からすくい上げられて、初めから彼の「笑」が病気であったというところから一転して、その病気の苦しい笑が、彼の本当に笑に変わり、ある意味では、ハッピーエンドになってしまう、という転換/一般社会の転覆が起きたこと、

つまり、彼は、鬱屈した今までの日常を、突然気が狂ったことで、自分の人生を社会から認められた/認知されてしまった、

そして、それが、社会のウミとの強く関係している

確かに今年の象徴的な一作である、

勝手に最初思ったのは、カラーグレーディングがきつい?
とか、リアリズム映画ばかり見ている自分みたいな人間にとってはそんなことを思ってしまった

しかし、この恐怖は、最後まで見入ってしまったし、楽しんだし、ホラー映画だと思ったし、行くところまでいってしまって、それが気持ちよくもあり、自分のトラウマ(個人的なトラウマ)をも想起させてしまう、ドラマでもあった

アーサーが実業家の男のもとに、現れて、自分の母親がそいつのところで以前働いていて、自分はその男の子供なのだと、ぶちまけるが、反対にその男にお前の母親は頭がおかしい病人で、アーサーが養子だったことを告げられる場面、いつもの笑という病気を発動させて、その父親だと信じた男に殴られてしまう、
これに近い経験を僕はした、な、というそのトラウマを思い出したのだ、
父親と最後話したとき、
もうお前は俺の息子ではない、
と言ってこちらが話そうとしたらがちゃんと電話を切られた。
呆然としたこと、そんなことを思い出したのだ

また、今日は、アメリカ社会について毎日新聞の記事をたまたま読んだ
格差社会が広がっていて、一部の富裕層が言ったことが正しくなってしまい、民主主義がない、非正規雇用、雇用がない、など、ある大学生は、学校を出たときに1000万円の借金をして卒業、そのあとインターンを無償でするが、そのまま雇われずこれからどうするのか、というもの。
20代の人が、社会の未来に希望を持てない人が多く、社会主義国家への期待、をもっていると、
確かに競争社会が続いてきて、
勝ち続けた人と、それを必ずしもできなかった家族単位での差は、現在大きなものになっているのではないだろうか。
アメリカの話、そして日本の政治もまさに腐敗したゴッサムシティー東京という感じ