2013年5月1日水曜日

5月1日

今日5月1日は、ドイツでは、休日になります。メーデー・労働者の日です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC

1つめの報告、、
DVDレーベルSOL CHORDさんのHPにて、僕の作品についての、推薦文を佐々木敦さんに書いていただきました。嬉しいです。本当にありがとうございます!!
http://solchord.jp/

2つめの報告、、
【SALONAIR】という同じIAMAS出身の映像作家ALIMOさんが行っている対談番組にて、話ます。http://salonair.blogspot.de/2013/04/5.html 宜しくお願いします。


3つめの報告、、
さて、今年2013年〜、本格的にこのドイツ・ベルリンで作品作りを頑張りたいと思います。
そして、とりあえず、今やろうと思っていることは2つ。

1,FUKUSHIMA - BERLINという日記映画の制作。
2,ここベルリンで何か新しい試みをすることーリヒテンベルクでの構想案。

ということで、この2つを計画しています。


1,
まず、ポーラ美術振興財団(http://www.pola-art-foundation.jp/index.html)からの助成で制作しようとしているのは、この1のFUKUSHIMA-BERLINという作品を時間をかけて完成させることです。この作品は、自分の実家である福島とベルリンを行き来しながら日記映画の方法論を使って制作していくというものです。日々の生活をテーマに撮影していこうと思っています。ドイツ語翻訳がついたものをyoutubeにアップしました。





この作品は、現在3年目なので、もちろん編集中ですが、現在35分前後まで完成しています。
これから、さらに、ベルリンやドイツに住む日本人に様々なインタビューをしていこうと思っています。なぜ、この外国で、わざわざ日本人にインタビューしていくのか?そう、そもそもこの作品を制作し始めた時は、本当に何もわからずにやり始めたわけですが、それでさぁベルリンで何かしようと思ったとき、他に何から手をつけていいかわからなかったし、そしてまた、この震災というものについて、どう向き合っていくのか、それが頭から離れなかった。そして、自分の家族や家が福島県にあって、それってやはり自分にとっては重要なテーマであるに違いないと、ここにきてさらに思うようになりました。この外国で一体何について見つめていくべきなのか。全く検討もつかなかった、というのが本音です。そして、自分が日本人で自分がどこで育って、どんな文化を背負って生きてきたのか、、本当に考えさせられる日々が続いています。そして、わざわざ日本人にインタビューしていく理由は、しばらく住んでいると、それぞれの考え方が、多様に変化してくると思います。例えば、この場所に40年住んだ人は、今現在どんな考え方を持って、この場所に住んでいるのだろうか。そして、このベルリンの街が特徴的な理由は、昔、いわゆるベルリンの壁があったからだと思います。それより以前から住んでいたいた人は、日本について何を考えているのだろうか。そして、自分は、その方達と対面したとき、どう思うのだろうか。そして、日本がこれからどうなっていくのか、どういった態度で見つめているのだろうか。

僕は、始めこのベルリンにきたとき、移民についての映画を制作しようと考えていました。なぜか、それは、本当に様々な人種がこの場所に共存していると感じたからです。でも、それをあるアメリカ人に言ったところ、当たり前に様々な人が住んでいて、どの、何について、作品を作るつもりなのか、と問われました。そう、その時は、漠然とそう思っていただけなんです。僕は、過去日本に28年間生まれてからずっと日本にのみ住んでいたわけですし、その人たちの気持ちについて、わかるわけもない。でも、なぜ皆移住や、他の場所に住んで新しい人生を送りたいと思うのか、本当に知りたいと思っていました。そして、今もそうです。また、自分もこの場所にきて、そろそろ1年が経つわけなんですが、それも同じように全然違う文化の中で、どう生きていくのか、まだまだ短いですが、移住と言えると思います。そこで、僕は、日本人であるから、単純に日本人に今現在の状況や、何を考えているのか、それを知ることからはじめよう、そして、そしたら、また別な視点が見えてきたり、もしかしたら、他の外国人のまなざしも見えてくるのではないか、そう考えたわけです。

それと、僕の日記映画とどう関係していくのか。長い期間かけて制作される作品の中に、自分がどう変わって、世界がどう変わって、自分がどんな人に出会ったのか、それをすべてこの中に封じ込めることは不可能であると思うけれど、可能な限り無駄を省いて、何かそういう”変化”みたいなものを映しとりたいと思っています。それが、自分にとって、このインタビューが重要な動機です。


2,
そして、さて、次の2リヒテンベルクでの構想案。ですが。それと、同時並行でこの今住んでいるリヒテンベルクという街で、今年1年かけて1本、短めの映画を制作したいと考えています。まだ、リサーチ不足ですが、実はこのリヒテンベルクは、過去ロシアが持っていたいわゆる東側の場所でした。昔、刑務所であったところが、今は新しい建物が建って家族などが住んでいます。一方では、廃墟となっている工場や、それを安く借りてアトリエにしているアーティストや、また、北の方に行くと、小さい昔ながらの村みたいなものや、その近くには、失業者が多く住む住宅があります。また、ベトナム人が多く商売を営んでいる地区もあります。そう、今これから、この場所で、自分にとって新しい作品を制作しようと考えています。


さぁ、今年はやるぞ!とはりきっています。




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