2025年11月4日火曜日

博士学位論文本審査会

博士後期課程映像メディア学専攻 公開審査あります 誰が来ても良いそうです。当日、DMなど対応できないのですが、もし時間合う方いましたらどうぞお越しください

ーーーー
博士学位論文本審査会
[発表者]
博士課程 鈴木光
[論文題目]
美術と映像「エッセイフィルム論」
【日時】
11月7日(金) 15:00-18:00
15:00-15:20 作品に関するプレゼンテーション(20分)
15:20-16:20 論文に関するプレゼンテーション(60分)
16:20-17:20 作品および論文に関する質疑応答(70分)
17:30-18:00 審査(30分)
【会場】
東京藝術大学大学院映像研究科元町中華街校舎3F
【審査員】
・主査
桂英史(大学院映像研究科)
・副査
高山明(大学院映像研究科)
山城知佳子(大学院美術研究科)
田坂博子(東京都写真美術館)
ーーーーーーーーーーーー
2018年7月だったと思う ベルリン芸術大学の修士審査が思い出される あの時は呼びたい人を呼んでも良い制度だったが、私は誰も呼ばなかった しかし、同い年で同タイミングで卒業予定だったオランダ人とドイツ人の同級生二人が来てくれた、主査はトーマス・アルスラン、副査ニナ・フィッシャーとアナ・アンダースだった、5名で卒業作品を見る会だった

2025年10月30日木曜日

アメリカのCCJ(Collaborative Cataloging Japan)でオンライン会員のみではありますが過去作が11月見れるようになるそうです、よろしくお願いします

Yōji Kuri 作品とTakashi Ito's作品の間に位置され、光栄です

https://www.collabjapan.org/


2025年10月16日木曜日

大木裕之さん

大木裕之さんが、亡くなった。
一部のSNSで出ているが、それは置いておいて

美術と映像を見ながら、走ろうとする作家にとって、大きすぎる出来事だと思う。
話した回数は多くはないけれど、いつも展覧会の告知や上映の情報は見守っていたし、行ける時は参加した。
映像表現を行う作家で、美術や映画を共に横断しながら、その斜めのラインをつき進む作家は、多くないと感じる。いつも美術なら美術に、映画なら映画にそれてしまうからだ。
その意味で、大木さんは、徹底してその境界を走る鬼才そして天才であり、その斜めを走り続けたと思う、
シナリオを前提とした方法ではない、「配置」によって布置される構成は、まさに、芸術家として誰も真似できない大木さんの独自のやり方だった。
僕は、そばで何かをやる、ということをやってきたわけではないが、自分の目標とする多くはない作家の一人であったと思う。
このような時代の中で、大木さんの70代の表現や晩年の表現を見てみたかった
僕にとって、今も、一番新しい表現をする作家が、大木裕之さんである と思う
合掌 です。お通夜には行きたいと思っているのですが、行けるのでしょうか・・・
博論にも大木さんのことを書いているし、今、博論提出直前で、自分の制作がある意味で揺れているところで、この大木さんの死は、何かを決意するトリガーとして機能する

2025年10月14日火曜日

2025映画祭のあと

山形映画祭メモ


「三角屋の交差点で」

https://www.yidff.jp/2025/program/25p7.html

家に固執しない、曖昧だが、受け入れて生きていく、そんな家族の存在を撮っていた、

好印象だった

土地に固執している人とそうでない人がいる。

そのことについて。


「ロッコク・キッチン」

自分も撮影した場所がでてきた。そして、訪れてみたかった場所もでてきた。また、それは撮らないな、と思っていたものを撮っていた。

やっぱり中間貯蔵施設は、視察でしか入れない、のは同じだった。

音楽が勉強になった


「パラジャーノフは、ゆうべどんな夢を見た?」

https://www.yidff.jp/2025/nac/25nac17.html

イランの出身で、何故ドイツで勉強しようと思ったのか、という質問でその回答は、
政治的な関係によって、アメリカには行きたいとは思わなかった。
その意味で、中道的な場所である、ヨーロッパを選んだ、ということがとても重要なことである。
その意味で、イランで過ごした少年時代がドキュメントとして入ってきたとき、そして、近しい友達との会話のなかで、イランとイラクの関係、そしてアメリカがイラン人にとってどういう意味を持つのかも、ひっそりと描かれていく。
その意味で、このイラン人でドイツに移住した監督が置かれた状況を知るにはいい映画であるし、この映画は、中東からヨーロッパを見る、そしてアメリカを見る、愛国、そして教育、啓蒙、その思考の動きのプロセスを家族との会話を見ることで、思考させてくれる。ダイレクトに政治の話をして、笑いに転化させるその技術は日本でも使えるはずだが、やりたがらないのは、政治的な視点でかたりえる人々があまりにも極端化しているからかもしれず、そこの人々に攻撃されるのが怖いからなのではないか。いや、でも踏み込むこと自体難しいことなのだとは思っている

「アパラチアンレンズ」
https://www.yidff.jp/2025/pj/25pj02.html

QAの質問で、変わっていく人を最初から撮ることは難しいとおもうけど、その対象をどうやって選んでいるのか?
監督の言葉:
変わっていく人を選ぶのは難しい、と。
勘で選んでいる。
しかし、じぶんと少し似ているところを感じてよっていっているところがあるのではないか。

と話した。
ケンタッキー州の人々が他の州からバカにされていることがある、それはこの立ち位置だから、と言われていたが、映画を通して見てみると、通りにかなっているようにしか見えない

古くさいガラパゴスの日本にいると、昔ながらの慣習が染み付いてしまっているのかもしれないが、ヨーロッパにいたときも何かその慣習が日本でしか通じないように、感じることがあったが、その慣習が、このケンタッキー州の住む人々からも感じられたことは、意外でしかなかった

最後に、映画祭に行って、誰かと個人的に新しく知り合ったり、ということが、ラフにできない、自分がいる。

何だろう、この感覚、これは結構前からある。

それは、自分が制作をやめておらず、構えているところがあるからだし、当然観客の一部であるわけだが、そうでない、受容するだけでは終わらない、自分の視点を持つことの重要性を密かに感じているからだと考えている

修行に近い

2025年9月26日金曜日

 芹沢 洋一郎さん、信じられない。

安らかにお眠りください 合掌


いつかEFCJで上映して、トークしてほしっかった

2025年9月20日土曜日

模範像なしに

美学小論集 


が届く、

若き日のアドルノの顔が裏表紙

https://www.msz.co.jp/book/detail/08667/



2025年9月8日月曜日

 素敵な本が届いた

楽しみ〜〜