2025年10月16日木曜日

大木裕之さん

大木裕之さんが、亡くなった。
一部のSNSで出ているが、それは置いておいて

美術と映像を見ながら、走ろうとする作家にとって、大きすぎる出来事だと思う。
話した回数は多くはないけれど、いつも展覧会の告知や上映の情報は見守っていたし、行ける時は参加した。
映像表現を行う作家で、美術や映画を共に横断しながら、その斜めのラインをつき進む作家は、多くないと感じる。いつも美術なら美術に、映画なら映画にそれてしまうからだ。
その意味で、大木さんは、徹底してその境界を走る鬼才そして天才であり、その斜めを走り続けたと思う、
シナリオを前提とした方法ではない、「配置」によって布置される構成は、まさに、芸術家として誰も真似できない大木さんの独自のやり方だった。
僕は、そばで何かをやる、ということをやってきたわけではないが、自分の目標とする多くはない作家の一人であったと思う。
このような時代の中で、大木さんの70代の表現や晩年の表現を見てみたかった
僕にとって、今も、一番新しい表現をする作家が、大木裕之さんである と思う
合掌 です。お通夜には行きたいと思っているのですが、行けるのでしょうか・・・
博論にも大木さんのことを書いているし、今、博論提出直前で、自分の制作がある意味で揺れているところで、この大木さんの死は、何かを決意するトリガーとして機能する

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