國分功一郎が映像を作り始めた
このことについて誰にも共有できないので、ここで共有することにしよう
来年はどういう年になるのか
https://vimeo.com/philosophienoire
今日の東京藝術大学でのプレミア上映は、本当に本当に本当に感無量でした、意識の高い人ばかりで、100分のこの作品を見てくれるかとても不安でしたが、上映会に来てくださった人たちは最後まで見てくれたと思っています
トークも2時間きっちりいろいろな角度から話せたことは、正直本当にすっきりしました、
これは、ある意味、主査の桂さんの親心を感じました、玄さんや松本さんとは、もっと話したいことがでてきたように思いました、
最後に話しかけてくれた方の話は、とても感動的で涙が出てしまった
当事者と向き合うことや、ドキュメンタリーの危うさの話をもっと聞きたかった、とおっしゃられたし、福島出身の人が思う、微妙に近い存在としての当事者をどう撮るか、そこはすごくセンシティブで難しい、そのことをつっこんでくれて、そのことを、わかってくれている人がいるということに、本当に感動しました、
もしかしたらその部分に気づいた人はあの方だけだったかもしれないです
総括として、今回はこれまでの上映会のなかでも私にとって最高の財産になったことは間違いありません、
本当にありがとうございました
東京藝術大学で、
拙作『FUKUSHIMA BERLIN 後景 2011–2025』(2025年/100分/制作:鈴木光)の上映があります。よろしくお願いします。
東京藝術大学webサイト:https://fm.geidai.ac.jp/6398/
■ 日時・会場
日時:2025年11月29日(土)14:00–18:00
会場:東京藝術大学大学院映像研究科 元町中華街校舎 3F 多目的スタジオ
https://newmedia.geidai.ac.jp/post/85/
入場:無料(事前登録制)
対象:どなたでも参加可
■ トークセッション
テーマ:現代美術とエッセイフィルム――映像の思考と語りのあいだで
登壇者:
● 鈴木 光(映像作家/帝京平成大学専任講師/東京藝術大学大学院映像研究科博士後期課程在籍)
● 玄 宇民(映像作家/RAMフェロー)
● 松本 桂(映像作家/RAM研修生)
司会:
● 桂 英史(東京藝術大学大学院映像研究科教授/RAMプロデューサー)
■ 主催・助成
主催:東京藝術大学大学院映像研究科 RAM Association
助成:文化庁「大学を活用した新進芸術家育成事業」(2025年度)
RAM Association は、東京藝術大学大学院映像研究科が実施するノンディグリープログラムとして設立され、映像を軸に芸術・社会・思想を横断する新しい学びと創造のプラットフォームを提供しています。
2025年度は文化庁の助成を受け、若手アーティストの育成と国際的な芸術交流の促進を目的として活動を展開しています。
ペドロ・コスタ展、
歌舞伎町でやっていた、ゴダール展よりもよかった
教会にいるようなミサに参加しているような感覚だった
カタログに、映画と美術の間の記述があったので、購入
まさか、冒頭にアドルノの美学理論からスタートというとんでもない偶然が起きている
本審査終了しまして、
「合格」
を頂きました、安心しました
緊張感のある時間が続いていたので、ほんの少しホッとしています。本当によかった
あとは、やり残した箇所の追記と修正、
今後の展望を書く必要がありそうです、
そこはかなりの悩み、です…
どうしようかな、とおもっている
博士後期課程映像メディア学専攻 公開審査あります 誰が来ても良いそうです。当日、DMなど対応できないのですが、もし時間合う方いましたらどうぞお越しください
山形映画祭メモ
「三角屋の交差点で」
https://www.yidff.jp/2025/program/25p7.html
家に固執しない、曖昧だが、受け入れて生きていく、そんな家族の存在を撮っていた、
好印象だった
土地に固執している人とそうでない人がいる。
そのことについて。
「ロッコク・キッチン」
自分も撮影した場所がでてきた。そして、訪れてみたかった場所もでてきた。また、それは撮らないな、と思っていたものを撮っていた。
やっぱり中間貯蔵施設は、視察でしか入れない、のは同じだった。
音楽が勉強になった
「パラジャーノフは、ゆうべどんな夢を見た?」
https://www.yidff.jp/2025/nac/25nac17.html
最後に、映画祭に行って、誰かと個人的に新しく知り合ったり、ということが、ラフにできない、自分がいる。
何だろう、この感覚、これは結構前からある。
それは、自分が制作をやめておらず、構えているところがあるからだし、当然観客の一部であるわけだが、そうでない、受容するだけでは終わらない、自分の視点を持つことの重要性を密かに感じているからだと考えている
修行に近い
フリッツ・ラングの『真人間』を見た
おそらく、フリッツ・ラング作品は二本ぐらいしか見ていない気がする
ゴダールのパート2を見た
ソニマージュ、昔ここらへんの作品を見て意味が、わからずほとんど放棄したが、
今、ベンヤミン・アドルノ・クルーゲを読んでいると、労働と政治、家事と気散じ、労働による時間の抑圧、プロレタリア、女性、いろいろと交錯するキーワードと最後に排除の語りがあるので、なんとなく、それとつながる感覚がある、
が、やはり小児への性的な表現はちょっとさすがにギョッとして、気持ちが悪かった
完全にアウトだからこそ、そう見ない見方は、ビデオという当時新しいメディアの使用の方に中身を持ってきたほうが面白くなっていく気がしたので、説明がそこに該当になっている、というトリック
いずれにせよ、あまり見れない(手元にあるヴェルトフ集団の映画もろくに見れていない)タイミングでの脱線と横断
イメフォで〈特集上映〉 アンドレア・アーノルド監督セレクションのドキュメンタリー『牛』
を見てきた
https://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/8718/
ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌの兄弟の映画のひどく倫理的な映画を思い出した
http://webneo.org/archives/51121
●『COW/牛』(2021)
動物に並々ならぬ愛着を抱き、常に人間を自然と背中合わせに描いてきたアーノルドが、酪農場の一頭の乳牛に密着して、4年がかりで完成させたパワフルなドキュメンタリー。ナレーションやテキストによる説明を一切排し、われわれ観客はまったく新しい視点から家畜という存在と向き合うことになる。シンプルに畜産や動物について考えることもできれば、突然訪れる衝撃的な展開に、動物と人間の共生や社会批評や警鐘など、さまざまな寓意や鮮烈なメッセージを見出すことも可能だろう。現時点で唯一のドキュメンタリー作品でありながら、物語を一義的な解釈から解き放つアーノルド流の映画術が冴え渡る。
【STORY】大規模酪農場で飼育されているホルスタイン・フリーシアン種のルマは、一頭の雌牛を出産する。やがてルマは子牛から離され、搾乳機に繋げられ、餌を食み、放牧されて走り回り、種付けされ、また子を生む。カメラは極力牛の目線の高さに据えられ、農場の日々の営みと、家畜たちの日常が綴られていく。ルマの物言わぬ瞳が語りかけているものとは?
2021年/イギリス/98分/英語/ビスタ/5.1ch/原題:COW /日本語字幕:林かんな/字幕協力:東京国際映画祭
© Cow Film Ltd & British Broadcasting Corporation 2021
キカイミルコ ー日本のビデオアートの先駆者たちー
を見ていたら、足立アンさん登場、
MoMA学芸員として、
しかし、このビデオ本当に勉強になる、
カテゴライズとして、鈴木は、この人たちの方が好き:出光真子、中嶋興、かわなかのぶひろ 萩原朔美
出光真子さんは、シャンタル・アケルマンじゃん、という。
中嶋興は、私シンパシー感じる
ビデオの特性を利用する、という意味で、大木裕之さんと前田真二郎さんに繋がっている!!
水俣病を告発する会、テント村ビデオ日記:中谷芙ニ子
ここもアクティビスムという意味で、小川紳助や土本典昭と並走しているのは興味深すぎる!
機械とテクノロジーについての作品(安藤公平、山口勝弘、久保田成子、小林はくどう、飯村たかひこ)は何か、学生の頃そうだったけど、ピンとこない、そこら辺を論文にまとめていきたい〜〜
しかし、山本圭吾さんの作品は、ヴィトアコンチも想起させるし、この感じを作品にできているのはなるほど天才である
森美術館に行きました。
ガブリエル・アルバンテスの「人工的なユーモア」をやっていて、びっくり、ベルリン映画祭の短編部門で見たな、と思っていたら、このタイミングで突然の出会い。
確かに、あの時気になった作品でもあったけれど、他にも気になる作品を作っている。
森美術館のキュレーターはよく見てるな〜と感心。
芸大で会ってチケットをもらったので、佐藤瞭太郎さんの作品と他にAIアートを見に行きました。
久しぶりに、リラックスして見れるものではなくて、変わった、そしてわりと疲れる感じのアート作品を見て、体感しました。
佐藤瞭太郎さんの作品は、私が過去に制作したアニメを利用した作品を思い出したりして、今、私が多感な大学院生だったら、何をやったかな、などと過去を思い返したりしました。
空間性、についての感覚がみたいなものが、自分の中に蘇ってくる
あのころ、どうにかしたくて、大学の学部のときファインアートについて、そして自分と向き合っていた、
同級生の展示に、本当に展示自体久しぶりに行ったら、
何かその部分をまた、ふ、と思い出した
映像とは違うなにか
この空間を構成する、無限の芸術的な戦い、は外から見ると、素敵であるが、
私はそれとは向き合い続けることが、もしかしたら、できなかった…?のかもしれないが、
それをもしかしたら、エッセイフィルム、でできるのか、?もしれない…?
2025年3月31日発売
昨年のシンポジウム「生と死のヴァナキュラー」が映像メディア学loop vol 15に取り上げられています。大感謝
https://www.amazon.co.jp/LOOP%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%AD%A6-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%97%9D%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E6%98%A0%E5%83%8F%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%A7%91%E7%B4%80%E8%A6%81%E3%80%88Vol-15%E3%80%89/dp/4865284664/ref=mp_s_a_1_1?crid=2UX8J1SR86DHF&dib=eyJ2IjoiMSJ9.8sEmBJIT9DfnzoeAFLjOOYCTP1M56USNYzUP4gDQKuLgE9dSkakp8WT1KOVG360ycbq6240IgpAtV6eNtFrO8Q.WPKujA6aZW-2dvkDDLSt556tFYk55YCFxEJQCVlrGAc&dib_tag=se&keywords=%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%AD%A6+loop+vol15&qid=1743455440&sprefix=%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%AD%A6loop+vol15%2Caps%2C191&sr=8-1
今年もやります、どうぞ宜しくお願い致します!
■Experimental film culture vol.6 in Japan ~ポレポレオルタナティブ~
主催:鈴木光 石川翔平 西澤諭志
チラシデザイン:松田 洋和
開催日:2025年3/20(木・祝)、21(金)、22(土)の3日間
会場:space&cafe ポレポレ坐 https://pole2za.com
小森はるか・小田香の作品を恵比寿映像で見る、
自分の作品を編集している傍らで、他の人の作品を観るのは、昔は不可能だったが、
本日は、いろいろとやることが満載のなかで、恵比寿映像祭自体も早足ではあったが見ることはできた
adobe のAIが開発されてニュースを昨日見ていたが、
映像祭の作品群を見ると、そのことが、作品の魂と関係があるかといえば、今も昔も変わらず、機械はただの技術でしかないと、
改めて考えさせられる
昨日のヴァナキュラーとオリジナリティについて、というフランス文化会館でのシンポジウムは、非常に面白かった。私が一昨年から、ムサビで行っているヴァナキュラーとエッセイフィルムというテーマの共通性と、そこでの写真イメージという視野が入ってきて、大変勉強になった。内容は、個人的にまとめているのでここでは書かない
昨日は、西澤諭志個展(YAU、コワーキングスペースになっているところでの展示で、会場の様子も今っぽく面白かった)、恵比寿映像祭、
そして、リアリズムについて、気になっていたことがあったので、ここでモロに取り上げて、お話をされていたので、シェア
https://cahiersandrebazin.blogspot.com/2019/04/100_15.html