2024年6月30日日曜日
「骨を掘る男」を見た
奥間勝也監督作品「骨を掘る男」を見た
ここ数年でおそらく一番心に残る作品だと思ったので、記録しておく。
おそらく、心に残った、の意味は心臓というか心、精神に何度も何度も"タッチ"されたことが原因だと思う、
弔う、という心の行為が逡巡し私の精神を何度も触った
経済活動に洗脳されていた私の何かが思い起こされ、何か失っていたものを思い出した気がした
これは一体何なのか考えていた
そして、藤田嗣治の戦争画 のことを思い出したのだ
藤田の戦争画の前に立ったとき、思わず動けなくなった
そして、目の前にあったベンチに腰掛けてずっとその絵画を眺めるしか方法はなかった、
どのぐらい居続けただろうか、そのうち涙が流れた
藤田のその戦争画は異様で、
あたかもそこの戦闘の場にいた、のではないか、と思わせるほどに、細部を見れば見るほど、筆致の精密さに驚かされていく
おそらく、画家の創造力と兵士達の精神状態へ近づこうするその思いが、この作品のリアリズムを生見だしているのに違いなかった
藤田のその被写体へと向かう誠実な態度が、筆致のリアリズムを生み、この戦争画からその制作側の心情や心の動きまでも伝わってくるようだ。
奥間の「骨を掘る男」というドキュメンタリー映画の場合も、その藤田の筆致のように、この場合はその一筆一筆の筆致がリアルな時間遷移と同時並行で克明に描写されながら記録され、構成されていくというプロセスにおいて、時間軸を持った作品形態という違いがあるにせよ、酷似している点ではないか
沖縄戦における数十万人の犠牲者、そしてそれに関わるたくさんの親族の思いが、この奥間の「骨を掘る男」に宿る、現代映像における戦争画のようだった
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