風邪で死んでいました
全然調子戻っていないですが、何とか生きている
風邪中にハルーン・ファロッキの映像をやっと最後まで見終わりました
アウシュビッツの作品のモンタージュそして脱モンタージュ、再モンタージュが効きました
最近、アウシュビッツについてのこのファロッキの作品についての本を同時に読んでいて、得るものが多いです まだまだ読み切れていませんが、これは難しい本だけど何とか脱落しないで最後まで読めそうな予感です
馬喰町のαMギャラリーでの「判断の尺度vo.4 大木裕之 とらさんの墨汁針」を観に行った。
「バンピィな男たち」を見れてよかった
あの時代にテレビ番組を作って、あの映像が放映されている というのがすごい変で面白かったし、
あの空気感 〜野球少年を撮る 男子学生を撮影することで出るピュアさみたいなのが、ターチトリップや、優勝-Renaissance とかについてイメージしたりして、やっぱりすごく濃い目の作家色を久しぶりに感じて、
インスタレーションとして満足して帰宅
今更ながらですが、ドゥルーズのシネマ 運動イメージ 読んでいます。
学生の時、最初読んで速攻脱落していましたが、あの頃は、実践を知りたかった
そして今は、読み物としてすごく面白い が 確かに難解です
読書の秋で、通勤途中 引き込まれて読んでしまう そして分からず何回も何回も読み直す
kodakの24枚撮り で撮影した現像が上がってきて、
すごく美しく 震えている
作品作ってないですね、動きないですね、
なんて言ってくる人がいました。
映像制作は、瞬間的に作ってそれを作品にしていく、というものでなくても、良いと思っているので、次のカットに何がくるべきか、しっかり考えて、今はじっくりやっています
と、心の声 です。
次のステップに進む時があるんだと思います。
男女の別れのように悲しいことが、例えあったとしても
読むものがたまっている 日々少しづつ読んでいるが 追いつかない〜〜〜
そして見るものもたまっていて、感じることもちゃんとやらないとな、、
ということでこういう風にこのテキストを書ける時間が重要です。
そしてまた、作品制作をすることも重要だが、生き残ることも重要であり、金稼ぎは単純に生きるために必要であり、別に社会でちゃんと働いたことがある、という経験も必要であるし、やりたかったことなので、ちゃんと普通にやってみる みたいなことだって自分にはあっても良いことだと思ったので、悔いなし