2021年12月27日月曜日

最近 やらないといけないことをそれなりにこなして

それなりにチームワークで仕事して っていうなんてことないことを

当たり前にこなす日々を送っていて、

物事を面倒くさくする 以前のような自分ではいられないことに気付いて

そのどうしようもなく 自分が自分でありたい と願い

それをどうにかして保つために

絵を描き始めた 別にこれは人に見せるものではなく

自分の気持ちを落ち着けるためのもので、

自分が自分であることを保つための 一つの方法であるだけだ


今年は色々あった というか 大きなことがあった

子供が生まれたことだ 家族ができたことだ


ただ表現が止まっているな、、、と

来年は、自作をどこかで発表したい


実は僕は、東京国立美術館に収蔵されている日本の1900年代前半の絵に感動することがあると最近、というか、ベルリンから帰ってきて気付かされることがあった

力強く、真面目で、一途な印象を持っていて、好きなのだ。

こういうのを書くと、自分が保守的な人間なのだ、と気付き、嫌になる

リベラルな思想を持った人間になりたい、といつも望んでいるのだが、自分は、そこには到底たどり着くことはできなさそうだ


とにかく、来年は、東京国立美術館の展示にまた行きたいと思う






2021年12月25日土曜日

 ゴミ・袋・塵・糞


色々なレイヤーが頭の中を交錯していく〜〜


一体何なんだ

2021年12月15日水曜日

不確定性

 最近、何かを感じることが足りないな、とすごく感じる


家族ができて、子育てもあり色々と大変なわけなんだけど

それは置いといて、

自分の作品制作で何か足りないものがありそうな気がしている

それは、ドキュメンタリー的な形式・様式について考えるのではなく、


「ある不確定なもの」に立ち向かう姿勢が足りない


ということだ。

ただ、この姿勢に体勢、変更するには、自分には、

何か、女装するとか、それぐらいの転換がないと

できない気がする


どこに行けば、その 体勢 を作ことができるか、

コロナで、難しい部分もあるが〜〜〜


なんて、中学ぐらいから、その体勢だったのに、30代後半になってから、まともに

なっちゃったんだな、

と社会に揉まれたな〜〜


アートか・・・・




2021年12月4日土曜日

斎藤玲児作品について

 彼の作品は、不思議だ

袴田さんの文章は不思議だった


わかりやすさを求められる世の中で、わからない・わかる  いや、見たものを何何と認識させる のような意味で

ハッキリとわかるとは言いきれないものが流れていく

番組制作でも、ドイツでの映画の、授業の中でも、ハッキリ何を撮ったのか、何を見たのか、視覚的に伝達したものを求められる、

その意味で彼はそんなことに画像を伝えるということに執着しているとは到底呼べない表現をしている

それが、自分の視覚的な認識をどうその映像なりキャンバス内に定着させるか、ということがテーマに、もしかしたらなっている?

のではないかと思い、

その抽象度が

ギャラリーや美術館で見る具体性からかなりかけ離れたものであるという意味でも、

極めて特異な作品になってき始めた?

のではないか、と思うようになってきた