2019年3月4日月曜日

自作分析

自作分析だが、、

2015年以前は、それまで映像というものをわからないから実験的に撮影していたと思う、

2015年頃を境に、どんなものが撮影・映る・記録されるのか、ほとんどがわかった状態で撮影しているところがあるようだ。

だから最近、面白くないのかもしれない。

最近考えていることとしては、
映像が、ニュースと同じ性質の情報としてわかりやすく整理されやすい方向にいくことを意識して避けたいと思っている。

自分が求めている映像は、伝達される情報は、わかりやすいニュース的な情報ではなく、見る人間の精神が、映像で動かされていくようなものだ。

情報番組のような映像以外は、アーティスティックな性質が強く、受け入れられる人々は限られてくる。
そこに自由な美学が入り込む。
インディーって、そこにあるものであり、遊びでしかない。
これで、食える人は確かにそういないかもしれない
それは、ニュース的な情報のような確実性が欠けるからだろうな





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