2018年9月9日日曜日

『寝ても覚めても』

『寝ても覚めても』(濱口竜介監督)を見てきました。

私の感想は、現代社会の女性の立場について考えさせられました。

この映画の中の一貫して描かれる主人公の女性像は、あまりにも弱すぎる。
その典型的な女性像に、私は少しの残念さと、典型的な日本人男性の女性への視線を想起せざるおえませんでした。

別にドイツ映画と日本映画を比べる必要はありませんが、私が、Babelsberg映画大学で聴講生をしていた時、映画学校の学生が制作した2013年のドイツ映画「Love steak」が映画館で上映されていました。

この映画は、最後に男性と女性のカップルが対等に殴り合いの喧嘩をするんです。
全く女性が強くて、日本からきたばかりの日本人男性である私は、度肝を抜かれてしまいました。

相変わらず、日本における現代映画の中での女性像が変わってないな、というところで、
カンヌで上映されようとも、私は、疑問を自分にぶつけていました。

また、私の個人的な考えとしては、この映画があまりにも「文学的」すぎるところにちょっと違和感を感じていました。それは、小説の映画化である以上避けられない部分でもあると思いますし、監督が文学部出身であることも影響しているのでしょうか。

話かわって、
見に行った理由は、「なみのおと」がすごくよかったからでした。ベルリンの日独センターで見たのを覚えています。見終わった後に、ドイツ人の観客から、「なぜもっと直接的に被災者の意見を映し出さないんだ?」という質問がありましたが、それはすごくドイツ的な考えだなと思ったのを覚えています。「直接・はっきり」が一番いい=ドイツ、だと僕は思っていますが、ある意味では当たっていますが、時時私はそこに、”その遠回しな表現に想像力が掻き立てられることがある”ということもあると思っています。その遠回しが日本人が多いから、欧米人に”日本人はわからない”、と思われてしまうことが多いかもしれません。監督はその質問の答えとして「被災者のことを察して下さい」と答えていました。直接は残酷すぎるということだったのか。この映画に優しさを感じた理由はそれだったのだと思います。








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