2011年6月28日火曜日

なぜ美術から映画表現に向かったのか???

ふとすべてがかたずいたような気がした。

それをまとめる必要があるので今書こうと思う。

抽象絵画や彫刻を見て泣いたり笑ったりしない。

映画館では泣いたり笑ったりする。

なぜなのか?


それは、映画が感情表現に優れたメディアであるからだと思う。そして、人間の感情を巻き込んでいくのは、

言語があるからだ。


最初は、言葉が不自由であったから、言葉で伝えきれないことを映像でやろうと思った。

それが彫刻や絵であったり、それにつながりのあるビデオアートみたいなものだった。

だけど、最近言葉でできることがあるんじゃないかと思うようになった。

それは、シュアーのインタビューマイクをイアマスで見たときだった。


言葉+画。


言葉を拒絶して、映像作品を作っていたのに、言葉がさけられないものになったと気づいた。

感情表現をするときに、言葉がすごく伝わりやすいメディアであることにも気づいた。

言葉をどう自分が引き受けていくのか?

最初制作した作品はワンカットだったんだけど、モンタージュをし始めたとき、言葉というものにぶちあたった。

それを紡ぎ合わせることで、一つの言いたいことを紡いでいく。

映像や映画を作ることとと向き合うことっていうのは、言葉とも画とも向き合うことになっていった。


人が抱き合うのを見て感動したら、それをコンポジションした映像を作れば伝えれる。

しかし、完全にコントロールして意味が伝わったらいいのか?単に伝えるだけだったら、言葉にしたっていい。

一方では、きれいな森のワンカットの”映像自体”が持っている感動っていうのもある。


つまり、言葉と画をコンポジションした”映像”自体が持つ不思議な魅力が自分や人を魅了するんだと思う。

まとめると、文学と美術の中間に位置するのが映像なんじゃないか。この言葉が自分に全くしっくりくる。

それだ。




(諏訪敦彦監督の言葉を借りる)


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