2026年1月30日金曜日

ジガヴェルトフ集団

ジガヴェルトフが博論の軸の一つなので、ジガヴェルトフ集団の映画を全部見た。10本。「ありきたりの映画」だけ、途中脱落してしまった。ここまで見て思うのは、博論とは別な話だが、やはり、1960年の「勝手にしやがれ」からヴェルトフ集団までの全速力と、2回目の全盛期である1979年の商業映画復帰作「勝手に逃げろ人生」以降を、しっかり見た方が良さそうだ、と気づき、それが、以下15本は、やはり見ておかないと、とおもいなおし、この春休みの課題となる。(ちなみに以下7本は、勝手にしやがれ、気狂いピエロ、中国女、ヒア&ゼア、自画像JLG、映画史、ゴダール・ソシアリスム、は過去に見ていた)(合計17本、まだ先は長い・・・)

カラビニエ (1963年) 

軽蔑 (1963年) 

はなればなれに (1964年) 

恋人のいる時間  (1964年) 

アルファヴィル (1965年)

男性・女性 Masculin féminin (1966年) 

メイド・イン・USA Made in USA (1966年) 

彼女について私が知っている二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'elle (1967年)

勝手に逃げろ/人生 Sauve Qui Peut (la vie) (1980年) 

パッション Passion (1982年) 

カルメンという名の女 Prénom Carmen (1983年) 

ゴダールのマリア Je vous salue, Marie (1985年) 

ゴダールの探偵 Détective (1985年)

フォーエヴァー・モーツアルト For Ever Mozart (1996年) 

 愛の世紀 Éloge de l'amour(2001年)


ーーーーーーーーーー

ジガヴェルトフ集団:

1967年「ウィークエンド」

おしゃれで優雅なブルジョア夫婦の週末、異常な事件の数々が巻き起こる。最後は、突然ベトナムの解放戦線を模したゲリラ集団に誘拐され、これまで制作した素敵なゴダール映画の終焉を予告する感じ。悲劇的なコメディ。


1967年に休止している?同年8月、商業映画との決別宣言文を発表。

1968年ジガヴェルトフ集団結成。


1968年「ありきたりの映画」

同年にゴダールがジャン=ピエール・ゴランと結成した「ジガ・ヴェルトフ集団」名義の第1回作品とした。学生が労働者との共闘について真剣に話し合う言葉に、労働者のストのフッテージが重なる。

学生の後ろ姿が中心に議論とストのアーカイブのフッテージが重なる。5月革命時?

途中で脱落。


1968年商業映画との決別宣言文を発表後、10月に撮影を開始。

「たのしい知識」

テレビで放映されるはずだった映画。

その時代の学生闘争や政府への目線などが闘争というキーワードを元に描かれる。

二人の男女が中心に会話とコラージュの組み合わせ。ゴダールには珍しいポップな広告などが出てくる。

個人的にはこのコラージュかんが好き。


1969年3月「ブリティッシュサウンズ」

1969年3月「プラウダ」

1969年6月「東風」

1969年12月「イタリアにおける闘争」


1971年「ウラジミールとローザ」

革命喜劇。ジガヴェルトフ集団の最後の映画。

革命を思考する被告たち。ブルジョアジーと労働者の話を、事件の模擬裁判を使って被告や囚人という視点で描く。


1972年4月に劇映画に復帰し「万事快調」を制作、その公開で批判され、その1ヶ月後に、ジガヴェルトフ集団は解散。


1972年「万事快調」

非常に厳密にカメラワークが決められた映画。縦移動は無しで、横移動と固定のみで撮影された、過去の映画のような労働者階級対資本家の映画。

1960年代に勝手にしやがれから、1960年代のゴダールの個性が駆け抜け、15本を撮り、そこから脱却し、新しい映画を目指して、過去のスタッフを捨て、ジガヴェルトフ集団で映画制作を行っていたが、その終焉を予告するような、批評家からの厳しい批判。過去の映画のようだ、ゴダールの個性はどこへいった?

その後、一人での映画制作へ入ることになる。


1972年「ジェーンへの手紙」

2026年1月29日木曜日

 昨日、裁判所に行きました

東電に対する低線量被曝についての訴訟といっていいでしょう

母子のみの避難を決断した女性の訴え

前回は、すごい並んでまさか抽選に当たってしまった、もう忘れてしまったがある事件を見た

のと、覚醒剤を購入した男性の裁判を傍聴した

ーーーーーー

アレキサンダー・クルーゲの「昨日からの別れ」の最初は、裁判所のシーンから始まる

ーーーーーー

そういえば、ドイツのUDK時代、シリアから亡命してきた男性がまだビザを取得していないのにOstkreuzで女性を襲ってしまった事件により強制送還されそうな裁判を見に行った、複雑な状況を思い出して、
いろいろと一直線に頭の中で、ズバンと繋がる 雷を受けた、昨日。

2026年1月22日木曜日

 ゴダールのインタビューを二時間見ただけで、情報量多く、今週と来週は博士の悔いが残らないように手元にあるゴダール作品を粘り強く見きろうと思っている


2026年1月20日火曜日

博論の最後の粘り、

ゴダールのジガヴェルトフ集団で作った作品を全部見ようと、机に齧り付く、

ながーい

2026年1月8日木曜日

 酒井直樹の言葉は、言語化しずらい西洋と日本の不均衡を

特殊性と普遍性という言葉を使って巧みに説明している。

そして、あるとんでもない共犯関係に気づかせてくれる。

これを利用している、西洋やUSにいる日本人がいることも、ドイツにいた時になんとなく肌で感じていたが、その解決方法というか言語化の方法が見つからなかった、が、この言葉はすごい効力を持っている。

以下、


第一章:

こうした種々の言説の配置が統合されて、日本という特権的言説対象が構成される。ここで、日本は特定の統合された特殊性として普遍的なことばで定義されることになる。つまり、日本のユニークさと同一性は、西洋という普遍的場に突出した特殊な対象というかぎりでのみ与えられるのであり、西洋の普遍主義に統合されるかぎりで、日本はひとつの特殊性としての自己の同一性を獲得するのである。別のことばでいえば、日本は西洋によって認知されたときにはじめて自己を与えられ、自己の同一性に目覚めるのだ。日本人論が日本が西洋と違っている無数の例を挙げ、西洋との差異によって日本の同一性を定義しようとするのはけっして偶然なのではない。日本が西洋とどんなに違っているかに固執するのも、実は他者の視座から自己をみたいという抑え切れない衝動から来るのだ。もちろん、これは西洋の視座によって日本の同一性を定立することであり、そうすることによって普遍的対照項としての西洋の中心性を確立することなのである。  だからこそ、日本の排外主義と自民族中心性を批判するようにみえながら、ポラックは実際には日本人論のなかにみえみえの日本の排外主義と人種主義を熱心に受け容れるし、承認しさえするのである。実際のところ、彼の議論の全体がこの気前のいい特殊主義の承認がないと維持できないのである。そして、ここに露呈した言説形態は、個人の意図や悪意によって起こるのではなく、言説形態として現在日本について研究しようとする者にとって逃れ出ることのできない歴史的重みとしてのしかかってくるのだ。ポラックに欠けていたのは、その意味で、ひとは歴史のなかに生きているという自覚、つまり基本的な歴史意識だったのである。  双方があたかも一見敵対的なかたちで主張してきたのとは反対に、普遍主義と特殊主義はたがいを強化し補足しあうのである。両者が真に敵対関係にあったことなど一度もないのであり、ともにたがいを必要とし、両者の間に対称的な相互に支え合う関係を求めているのであり、そうすることによって安全で調和的な独話論的monologic世界を危険にさらすような対話論的dialogicな出会いを避けようとしてきたのである。だから、普遍主義も特殊主義も、自分の欠陥を黙認してもらうことと引替えに相手の欠陥を受け容れてしまい、その共犯性という点で両者は親密に結びつけられているのである。  この点で、国家・国民主義nationalismなどの特殊主義はけっして普遍主義の批判などにはならないし、またその逆も起こりえないのだ。なぜなら、両者は共犯者だからである。


酒井直樹. 死産される日本語・日本人 「日本」の歴史―地政的配置 (講談社学術文庫)