2013年9月12日木曜日

福島展 in チェルノブイリ Fukushima Exhibition in Chernobyl




もう9月の半ばになりそうで、ベルリンは寒くなってきてます。今日の夜は息をはくと、白いです。忘れないうちに8月に行ったウクライナについて書かなければと思って。。。
実は、ウクライナのチェルノブイリミュージアムでは、福島展というのを現在やっていて、寒くなる前にそれを見にいかなければと思い、見に行ってみることにしたのでした。

ベルリンからウクライナまでは、電車やバスを使うときっちり24時間です。かなり充実した旅になりました。



これは、行きの電車の中。2人ともウクライナ人。ウクライナは英語圏ではないので、外人(僕)とウクライナ人の共通語はジェスチャーでした。左の人は、ドイツ語を話せたので、24時間中の10時間ぐらい話をしてました。彼がいなかったらどうなったことやらです。僕は、お金をユーロからウクライナ通貨に変えるのを忘れたあげく、さらに食べ物は電車の中で買えると思っていたのに、売店はなく、、、、という感じで、右手のおじさんにパンをもらい、左の彼には、ビールをもらいました。すごく優しいひとたちでした。 


これは、ウクライナの首都のキエフの中央駅です。 

チェルノブイリミュージアムの外観 



何て書いてあるのか。 


早速。




福島の展示自体はとても小規模なものでしたが、この福島の写真がこの街にあるというのは、すごく特別な気がして、なんと言っていいのか・・・。原発というものを通して、世界をつなげるというのは、、、。今のところまだ全然言葉にはなりません。
東電の社員が、体育館に避難している人々に土下座をしている写真があって、そして下に書きましたが、罪を追った職員→チェルノブイリの作業員が事故後刑務所に入れられているのを比べたときに、、何とも言えない感覚におちいりました。ソ連政府は、事故後6人の作業員を事故の責任があるとして、刑務所に入れたのですね。でも彼らが悪いのではないと。構造に問題があったのだと。これを、日本にそれを置き換えるとしたら、誰が刑務所に入らなければいけないのか。(刑務所から出てきた作業員は、放射線病で身体障害者になっているという。)



チェルノブイリミュージアムの内容としては、最初は、事故に関わった職員の個人的なものが、展示として並んでいました。日本語の音声ガイドがあって、それを聞きながら周りました。トータル3〜4時間ぐらいかかりました。少しメモしたことについて、箇条書きで。



事故直後、実際の作業をしていた方々の名前など。

・ワレーリー・オデムチュークさん(35歳)
事故後の最初の死。

・ウラジーミル・チェシェンコさん(35歳)
レーニン勲章。(wikiには乗ってませんね) ガイドでは、彼は爆発直後高い放射線が漏れないように、ドアをしめて、中に閉じこもって作業をしていたという話でした。

・アナトリー・ウルグースさん(29歳)
作業中に800レムを浴びる。(致死量700レム)

・罪を追った職員 
レオニード・トフトーノフさん(26歳)
アレキサンドル・アキーモスさん(?)
アナトリー・ジャトロフさん(?)

彼らが最初に思ったことは、どうしてこんなことが起こってしまったのか。だった。
そして、彼ら6人は爆発の罪を追って10年間ソ連の刑務所に服役した。

彼らは言う、運転員のせいではない、構造のせいであると、
アレキサンドル・アキーモスさんの遺書には、「私達は正しくやった。設計上の欠陥であった。」と。


その他
・従業員12人のうち8人は放射線病で死亡。

・放射線を浴びた生き残った作業員は、身体障害者に。

・25kgのスーツをきて、除染作業。このスーツを着ることで、2/3程度、体にあびる放射線の量を減らすことができる。

・11万2千人の避難。

・314人が禁止区域に残る。





原子炉の説明模型 












マスクでしょうか? 
















チェルノブイリの中へ。ツアーがあって、ガイドさんとともに。。




登録した人の名前確認。 

ここのバス乗り場みたいなところから乗りました。 

ガイドさんの説明。 


 廃墟へ。















 プリピャチ(読めないです)





 プリピャチ市内







 スタジアム


と、こんな感じで、もっといろいろ撮影はしましたが、写真ではなく映像を撮りました。
ガイドさんは、かなり陽気な人で、笑いもありました。実際のこの場所に行ったことでの感想は正直あまりありません。本当に街全体が廃墟になっていて、機能していない感じでしたが、気味悪いというわけでもありませんでした。多分そう思った理由は、観光地になっているからであると思います。そこかしこに普通に人がいるし、みなここで何があったのか知っているし。という感じで。。ご飯を食べる際に、たまたま席がガイドさんの隣になったので、質問をしてみました。「子供いるんですか?なんでそんな質問をするかというと、女の人がここでガイドとして仕事するって、結構恐いことではないんです?」と聞いたら、彼女は、「笑いながら全然問題ないです。大丈夫。」と答えていました。本当かなぁ。と。その後は、ドイツに留学していたことや、流暢な英語を活かしてガイドをやることにしたんだという話をしました。でも、あまり給料がよくないらしく「留学する前と後で給料が変わると思ったのに変わらなくて残念。」と答えていました。正直で、いいガイドさんでした。




ここからは、全然関係ない話です。ウクライナで、宗教についての本を読んでいたので、だったら美術でしょ、ということでウクライナ美術を見に行ってきました。





僕の中でのロシアのイメージそのままでした。昔ソ連だったんですもんね。 










この彫刻まじやばでした。 









この絵が素敵だった。光り輝いてました。 





さて、9月は。。