2026年2月21日土曜日

 大木裕之さんの追悼上映見てきた、3月のart center newの大大木展に向けて、大木裕之作品オマージュ作品を制作中、親父が失踪したそのあたりからの宗教・家族・芸術が交錯する、大木さんのドローイングも編集の下地としてまねてみて、どんな作品になるか楽しみ 鈴木光の第二期は、芸大博士修了したタイミングで始まる 博士合格しました、子育ててつかれてるとか言っている場合じゃないとかたまには言ってみる

大木裕之論て、カタログのイメージフォーラム1990年11月号?誰か教えてください



2026年2月18日水曜日

東京藝術大学博士最終試験終了し、

合格いただきました。

けっこう、大変な三年間だったとおもっています。一旦区切りだなと思います、

支えてくださった方々、直接ではなくてもこれまで会ってきた方々なくして、この成果はないとおもっています。

本当にこれまでお会いした方々には感謝しかありません。引き続き精進して、作品作りを続けたいと思います。

よろしくお願いします。






2026年2月13日金曜日

 2026年2月17日(火) に鈴木光さんの博士学位論文最終試験が行われます。

どなたでも聴講可能な一般公開の審査会になります。ご興味のある方はご参加ください。
博士学位論文最終試験

【発表者】
博士課程 鈴木光

【論文題目】
美術と映像「エッセイフィルム論」

【概要】
 本論では美術と映像が交錯する「エッセイフィルム」について、考察を深め、この領域を拡張させることを目的とする。そもそも、未だ日本国内で芸術実践論として、作家側からのこの方法論の研究があまり進んでいない状況から、まずはこのジャンルの西洋諸国における歴史や変遷を紐解き、成り立ちや、何がその方法を使用した作品であるのか、研究し明確にする。そして、日本での独自のエッセイフィルム文化の形成について年代ごとに研究を進める。最後に、実際に自作を制作することで「芸術実践論」の観点から、エッセイフィルム論を論じる。
 具体的には、まず最初に文学としてのエッセイは、客観的にどういったキャラクターを持っているのか、エッセイの本質と形式をアドルノとルカーチの文献を辿り論じる。そこからエッセイフィルムとの関係をアレキサンダー・クルーゲと共に論じる。次に、エッセイフィルムの成り立ちについて明らかにする。4人の作家に焦点を絞り、1950年代から現代への変遷を考察する。西洋諸国で論じられてきた、エッセイフィルムを背景に、この方法の有効性について考察する。
 インターネットの登場から時代区分を分けて、それ以降のエッセイフィルムの形成の変化について論じる。そして、同時並行で起こったムーヴメントとエッセイフィルムとの境界線はどこか、運動ごとに考察を行い、西洋からアジアへ論点を移す。日本のアーティストがビデオというメディアを使い始めた黎明期について触れ、それ以降の日本のアーティストの活動を年代ごとに変遷をたどりながら焦点を当てて論じる。
 以上を踏まえた上で、私のエッセイフィルム論を展開する。東日本大震災が起きる箇所を最初のタームとし、次に、ドイツでのエッセイフィルムとの出会いについて紹介する。そして、私が独自に企画したエッセイフィルムを作る作家の作品上映を紹介する。そこでは、他者が語るエッセイフィルム論を掲載する。最後に、本論文と共に制作したエッセイフィルム作品『FUKUSHIMA BERLIN 後景 2011-2025』の試みについて紹介し、ドキュメンタリーとエッセイフィルムにフォーカスし結論を述べる。


【日時】
2026年2月17日(火) 15:00-17:20

15:00-16:10 学位申請者・鈴木光による口頭発表(70分)
16:10-16:20 休憩
16:20-17:20 質疑応答および審査評(60分)

【会場】
東京藝術大学大学院映像研究科元町中華街校舎3F 多目的スタジオ

【審査員】
・主査
桂英史(大学院映像研究科)
・副査
高山明(大学院映像研究科)
山城知佳子(大学院美術研究科)
田坂博子(東京都写真美術館)

2026年2月8日日曜日

0207 雪 yuki

大木裕之さんの映画を今日は、kudanハウスで見てきた。

以下、3本。

《松前くんの兄弟の神殿の形1》は、以前見ているしDVDも購入したので今回は見ていない

初っぱな、松前君の旋律IIでまさか、泣いてしまった。

大木さんが使う曲とあの昔のアイドルの曲みたいなのが、それこそノスタルジーを呼び起こしすぎて、頭で考えるだけじゃない、感覚的と全身を使ったその感じる、というものが出ちゃっていて、美しすぎた

実は、3月の後半に Art Center Newの大木裕之追悼展示があるというので、大勢で作品を展示するというので、私も参加予定です!というので今日は本当に久しぶりに個人的にカメラをまわしてみた

家族の死を見たら、今日はそれ関連をまさに撮ったので、そこの間の表現での作品になりそう、

12:30-[Kプログラム]大木裕之 – 松前君のヴァリアシオン(約61分) 

大木裕之《松前君の旋律 II》2004/2014, ビデオ, カラー, サウンド, 22:01

大木裕之《松前君のまんじまんじゅのための映画 (150226 MIX)》2014-2015, ビデオ, カラー, サウンド, 4:00

大木裕之《松前君の赤い (パブリックパンツ) 映画 (20160703 大分mix)》1998-2012/2016, ビデオ, カラー, サウンド, 34:00


14:30-[Lプログラム]大木裕之−家族の死(約71分) 

大木裕之《レフトライトデザイア》2004-2016, ビデオ, カラー, サウンド, 40:00

大木裕之《木三 (ムミ)》2024, ビデオ, カラー, サウンド, 30:00


16:00-[Mプログラム]大木裕之―M・IとMAY(約65分)

大木裕之《M・I 2023》2000-2024, ビデオ, カラー, サウンド, 30:00

大木裕之《メイⅣ 2019-2024》2019-2024, ビデオ, カラー, サウンド, 34:57



2026年2月4日水曜日

 ローザ・フォン・プラウンハイムがすごい

横目で、昨日届いた「つぎの民話」松井至さんの著作を見る、

この本、すごいのは、映像視聴のurlがついていて、エッセイごとにパスワードが載っていること

私的には、他者を撮り始めるとどんどん撮れてしまって、美しさを追いながら、いろいろと外に手を出さざるをえなくなり、扱いが並列し勢揃いしていくようであり、それが人間として良いのか、という問いに付されてしまいそうなので、やりたくない。

自分だけの一回性みたいなものが薄れてきてしまうので、あまりやりたいことではない

しかし、メディア制作者であることを自負した瞬間に、その他者性を勢揃いさせて美しく撮ることが正しいこととなる、しかしところでそれは置いておいて、確かに松井さんの作品には美しさが宿っている。

美術は、その意味では、頑なに正直でありもっと曲がった存在であるように思う。