2013年12月18日水曜日

そもそものこと。

ドイツ語を勉強していて、最近作文を書いたので、それを人に見てもらったら、赤が入っている場所に気になる点が。自分の今まで作った作品について書いたのですが、、、始めに作った作品についてこう書きました。

その作品は、ひどいものだった。それを上映する機会があって、実際に上映したとき、誰か笑わないかと不安であった。

そしたら、そこに赤で訂正の文章が書き込まれていました。

その作品は、ひどいものだった。それを上映する機会があって、実際に上映したとき、誰も笑わなかったから。

と書き直されていました。これって、僕にとっては、結構ショックなこと。何がというと、これって単純に文章構成のミスではないと思ったからです。なおしてくれた人の映画や映像に対する価値観が違うんでしょう。別に自分にとって、日本にいたとき映画を見ることと笑うことがセットではなかったです。でも、ドイツにいて映画を見に行くと、映画館で笑いの声が耐えないし、自分も素直に最近笑えるようになったのは事実。本当にこれって最近気づいた大きな事実でした。。くくっていいかわからないけれど、ベルリンで映画を見る人々にとって、笑いと映画はセットであるということでしょうか。もちろん人によるし、テーマにもよると思うんですが、、家でこの直された文章を一人で読んでいたら、とてもハッとさせられてしまいました。


そうそう、そういえば、今現在、自分の制作とは少し別で、コンラート・ヴォルフ映画テレビ大学ポツダム(http://www.hff-potsdam.de/de/home.html)の聴講生をやっています。

そこの映画の歴史の授業で、ジャン・ヴィゴのアタラント号をこの間見ました。すっごい素敵な映画で、脇役のアホで優しい船長の設定が面白く、日本のアニメーション・ど根性ガエルの主人公と不思議の海のナディアのノーチラス号の乗組員ネモ船長とを足して2で割ったようなキャラがすごく魅力的でした。

船長の顔と、体には、変な入れ墨が入っていました。
















2013年12月11日水曜日

何を書いていいのか、と。

(Ein Bild von LOVE STEAKS)

そして、最近は時間に追われていたけれど、ある映画のプレミアに行ってきました。


この映画„LOVE STEAKS"
http://lovesteaks.de/LOVE_STEAKS.html

即興で撮影された映画で、変なラブストーリーです。
矯正器をつけた青年男性が、ホテルでセラピストとして働きだし、そこで出会ったコックの彼女と、恋に落ちるお話。

彼は、ホテルのロッカールームを家にしていて、よく彼女がくるようになり、ホテルのプールで夜中遊んだり、一緒に休みの日に海に行ったりします。

でも、彼女は、アルコホール中毒で、仕事をしながらお酒を飲んでいます。
それを心配に思った彼が、その厨房のシェフに彼女がお酒を飲んでいることを伝えます。
なぜなら、彼女が、ある日酔って彼のところに来て、絡んだからでした。
それで、彼女の今おかれている状況について話をしました。彼女は、彼のせいで同僚から、何か言われると彼につげます。
それは、彼が、ホモ臭く、矯正器のせいで話し方がへんだからです。
そのことがあってから彼は、まずは、彼女の同僚のところへ行き、彼女に対する同僚の態度について問いつめ、その後、シェフのところへ行き、あなたの管理がなっていないから彼女は同僚にいじめられたり、アルコールを飲んだりするんだと言ってしまいます。
その次の日、彼女はシェフに呼ばれて事務所へ。
アルコホールを仕事中飲まないように、次飲んだらもうチャンスはないと言われてしまいます。
彼女は、事務所を出てすぐに、同僚に何か彼らが言ったかどうか、確かめて回ります。
そして、ある同僚が、“彼氏に聞いてみたら“と言います。それで彼女は感づき彼のところへ行きます。
そして、彼女は、私は、今日首になったと彼につげます。もちろんこれは嘘です。
彼に対するしかえしのために彼にそう告げたのでした。
それに対して怒った彼は、次の日会議をしている事務所へ無理矢理入って行き、お偉いがたの前で、何故彼女を首にしたのか、問いつめます。
でも、厨房のトップが、彼女を首にした覚えなんてないと告げます。
それでも、彼は、もう今日限りでここをやめるといきまきます。
その後、彼らは、ある一つの方法で仲直りをしました。


というお話です。この映画のあらすじは簡単ではあるけれど、演出がすばらしく、映画館は爆笑のうずでした。とてもすばらしい即興映画でした。


さて、クリスマスが近づいています。












2013年9月12日木曜日

福島展 in チェルノブイリ Fukushima Exhibition in Chernobyl




もう9月の半ばになりそうで、ベルリンは寒くなってきてます。今日の夜は息をはくと、白いです。忘れないうちに8月に行ったウクライナについて書かなければと思って。。。
実は、ウクライナのチェルノブイリミュージアムでは、福島展というのを現在やっていて、寒くなる前にそれを見にいかなければと思い、見に行ってみることにしたのでした。

ベルリンからウクライナまでは、電車やバスを使うときっちり24時間です。かなり充実した旅になりました。



これは、行きの電車の中。2人ともウクライナ人。ウクライナは英語圏ではないので、外人(僕)とウクライナ人の共通語はジェスチャーでした。左の人は、ドイツ語を話せたので、24時間中の10時間ぐらい話をしてました。彼がいなかったらどうなったことやらです。僕は、お金をユーロからウクライナ通貨に変えるのを忘れたあげく、さらに食べ物は電車の中で買えると思っていたのに、売店はなく、、、、という感じで、右手のおじさんにパンをもらい、左の彼には、ビールをもらいました。すごく優しいひとたちでした。 


これは、ウクライナの首都のキエフの中央駅です。 

チェルノブイリミュージアムの外観 



何て書いてあるのか。 


早速。




福島の展示自体はとても小規模なものでしたが、この福島の写真がこの街にあるというのは、すごく特別な気がして、なんと言っていいのか・・・。原発というものを通して、世界をつなげるというのは、、、。今のところまだ全然言葉にはなりません。
東電の社員が、体育館に避難している人々に土下座をしている写真があって、そして下に書きましたが、罪を追った職員→チェルノブイリの作業員が事故後刑務所に入れられているのを比べたときに、、何とも言えない感覚におちいりました。ソ連政府は、事故後6人の作業員を事故の責任があるとして、刑務所に入れたのですね。でも彼らが悪いのではないと。構造に問題があったのだと。これを、日本にそれを置き換えるとしたら、誰が刑務所に入らなければいけないのか。(刑務所から出てきた作業員は、放射線病で身体障害者になっているという。)



チェルノブイリミュージアムの内容としては、最初は、事故に関わった職員の個人的なものが、展示として並んでいました。日本語の音声ガイドがあって、それを聞きながら周りました。トータル3〜4時間ぐらいかかりました。少しメモしたことについて、箇条書きで。



事故直後、実際の作業をしていた方々の名前など。

・ワレーリー・オデムチュークさん(35歳)
事故後の最初の死。

・ウラジーミル・チェシェンコさん(35歳)
レーニン勲章。(wikiには乗ってませんね) ガイドでは、彼は爆発直後高い放射線が漏れないように、ドアをしめて、中に閉じこもって作業をしていたという話でした。

・アナトリー・ウルグースさん(29歳)
作業中に800レムを浴びる。(致死量700レム)

・罪を追った職員 
レオニード・トフトーノフさん(26歳)
アレキサンドル・アキーモスさん(?)
アナトリー・ジャトロフさん(?)

彼らが最初に思ったことは、どうしてこんなことが起こってしまったのか。だった。
そして、彼ら6人は爆発の罪を追って10年間ソ連の刑務所に服役した。

彼らは言う、運転員のせいではない、構造のせいであると、
アレキサンドル・アキーモスさんの遺書には、「私達は正しくやった。設計上の欠陥であった。」と。


その他
・従業員12人のうち8人は放射線病で死亡。

・放射線を浴びた生き残った作業員は、身体障害者に。

・25kgのスーツをきて、除染作業。このスーツを着ることで、2/3程度、体にあびる放射線の量を減らすことができる。

・11万2千人の避難。

・314人が禁止区域に残る。





原子炉の説明模型 












マスクでしょうか? 
















チェルノブイリの中へ。ツアーがあって、ガイドさんとともに。。




登録した人の名前確認。 

ここのバス乗り場みたいなところから乗りました。 

ガイドさんの説明。 


 廃墟へ。















 プリピャチ(読めないです)





 プリピャチ市内







 スタジアム


と、こんな感じで、もっといろいろ撮影はしましたが、写真ではなく映像を撮りました。
ガイドさんは、かなり陽気な人で、笑いもありました。実際のこの場所に行ったことでの感想は正直あまりありません。本当に街全体が廃墟になっていて、機能していない感じでしたが、気味悪いというわけでもありませんでした。多分そう思った理由は、観光地になっているからであると思います。そこかしこに普通に人がいるし、みなここで何があったのか知っているし。という感じで。。ご飯を食べる際に、たまたま席がガイドさんの隣になったので、質問をしてみました。「子供いるんですか?なんでそんな質問をするかというと、女の人がここでガイドとして仕事するって、結構恐いことではないんです?」と聞いたら、彼女は、「笑いながら全然問題ないです。大丈夫。」と答えていました。本当かなぁ。と。その後は、ドイツに留学していたことや、流暢な英語を活かしてガイドをやることにしたんだという話をしました。でも、あまり給料がよくないらしく「留学する前と後で給料が変わると思ったのに変わらなくて残念。」と答えていました。正直で、いいガイドさんでした。




ここからは、全然関係ない話です。ウクライナで、宗教についての本を読んでいたので、だったら美術でしょ、ということでウクライナ美術を見に行ってきました。





僕の中でのロシアのイメージそのままでした。昔ソ連だったんですもんね。 










この彫刻まじやばでした。 









この絵が素敵だった。光り輝いてました。 





さて、9月は。。