2025年10月14日火曜日

2025映画祭のあと

山形映画祭メモ


「三角屋の交差点で」

https://www.yidff.jp/2025/program/25p7.html

家に固執しない、曖昧だが、受け入れて生きていく、そんな家族の存在を撮っていた、

好印象だった

土地に固執している人とそうでない人がいる。

そのことについて。


「ロッコク・キッチン」

自分も撮影した場所がでてきた。そして、訪れてみたかった場所もでてきた。また、それは撮らないな、と思っていたものを撮っていた。

やっぱり中間貯蔵施設は、視察でしか入れない、のは同じだった。

音楽が勉強になった


「パラジャーノフは、ゆうべどんな夢を見た?」

https://www.yidff.jp/2025/nac/25nac17.html

イランの出身で、何故ドイツで勉強しようと思ったのか、という質問でその回答は、
政治的な関係によって、アメリカには行きたいとは思わなかった。
その意味で、中道的な場所である、ヨーロッパを選んだ、ということがとても重要なことである。
その意味で、イランで過ごした少年時代がドキュメントとして入ってきたとき、そして、近しい友達との会話のなかで、イランとイラクの関係、そしてアメリカがイラン人にとってどういう意味を持つのかも、ひっそりと描かれていく。
その意味で、このイラン人でドイツに移住した監督が置かれた状況を知るにはいい映画であるし、この映画は、中東からヨーロッパを見る、そしてアメリカを見る、愛国、そして教育、啓蒙、その思考の動きのプロセスを家族との会話を見ることで、思考させてくれる。ダイレクトに政治の話をして、笑いに転化させるその技術は日本でも使えるはずだが、やりたがらないのは、政治的な視点でかたりえる人々があまりにも極端化しているからかもしれず、そこの人々に攻撃されるのが怖いからなのではないか。いや、でも踏み込むこと自体難しいことなのだとは思っている

「アパラチアンレンズ」
https://www.yidff.jp/2025/pj/25pj02.html

QAの質問で、変わっていく人を最初から撮ることは難しいとおもうけど、その対象をどうやって選んでいるのか?
監督の言葉:
変わっていく人を選ぶのは難しい、と。
勘で選んでいる。
しかし、じぶんと少し似ているところを感じてよっていっているところがあるのではないか。

と話した。
ケンタッキー州の人々が他の州からバカにされていることがある、それはこの立ち位置だから、と言われていたが、映画を通して見てみると、通りにかなっているようにしか見えない

古くさいガラパゴスの日本にいると、昔ながらの慣習が染み付いてしまっているのかもしれないが、ヨーロッパにいたときも何かその慣習が日本でしか通じないように、感じることがあったが、その慣習が、このケンタッキー州の住む人々からも感じられたことは、意外でしかなかった

最後に、映画祭に行って、誰かと個人的に新しく知り合ったり、ということが、ラフにできない、自分がいる。

何だろう、この感覚、これは結構前からある。

それは、自分が制作をやめておらず、構えているところがあるからだし、当然観客の一部であるわけだが、そうでない、受容するだけでは終わらない、自分の視点を持つことの重要性を密かに感じているからだと考えている

修行に近い